◆ハレの日ケの日

作者・作品にとって展示は「ハレ」のイベントだろう。着飾った瞬間を見てもらう、大事なことだ。しかし、それだけで終わってしまうのはなんだかもったいない気もする。

「ハレ」があれば当然「ケ」がある。この「ケ」の期間の方がずっとずっと長い。今回の「心のアート展」でいえば2年のうちでたった1週間弱の「ハレ」だ。日々のなかで制作されるものは、一体どんな経緯をもったひとの手によってつくられてきたのか。どういったことから着想を得たのか。そういったところまで想像をひろげてみると作品は単なる「きれいな/ふしぎな/なんだかいい一枚」ではなくなってくる。その人の人生や価値観、ときに社会のありかたまで見えてくることもある。わたしは作品を見て、そういうことを考えるのがすきだ。

展示準備の日に額装(絵を展示用の額に入れること)をしながら、タイトルとキャプションを付けながら、作品に思いを寄せる。どんな考えからこのタイトルをつけたのだろう。画用紙一枚で送られてきた作品がりっぱな額に入ったのを見て、彼らはどう感じるのだろう。着飾った姿によろこぶひともいれば、「いつものほうがよかった」と思うひともいるかもしれない。絵や、展示についてのコメントを読みながら、彼らの制作環境や日常をイメージしてみる。ふだんアトリエで会うひととは顔を合わせて話をするけれど、他のところからきた作品はまったくわからない。そういった場合、準備作業も想像をあちらこちらへとめぐらせる貴重な時間となる。

たった一週間弱の「ハレ」の日。きれいで、ふしぎで、時に重たく、ユニークな作品たちが一堂に会する。作品の背後には作り手の影がゆらめく。ギャラリーが声なき声でひしめきあう。作る人と観る人。それぞれの思いが交差する。そんな場になっていたらうれしい。

無事閉会し、次はまた二年後。回を重ねるごとに応募作品が増えてたいへんになる一方だが、そんなてんやわんやの状況も楽しみにしている自分がここにいる。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。数回準備を重ねていると、カッター使いもだいぶじょうずになってきます。

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