ときどき「料理してえらいね」と言われる。決してまわりからほめられたいとか「おいしい」を言ってもらうためにやっているのではなく、単純におもしろいし、ひまだからだ。ついでに節約になり、自分ができることの引き出しも増え、なによりきらいなものを食べなくていい。偏食人間にはもってこいのひまつぶしなのだ。

人生をかんがえたとき、ひまの使い方は鍵となる。疲れやすいので、よっぽどのことがないかぎり遠出はしたくない。そうなると、近場に出るか家にこもるかの二択となる。近場なら美術館か本屋・図書館か、ゲームセンターかポケモンGOだろうか。現代人の一般的な娯楽といえよう。カルチャーとサブカルチャーでだいぶ極端だが、人間にはいろいろな面があるので、むずかしく考えない。

いっぽう家にいるなら読書か物書きか、料理か掃除になる。家事というより、 娯楽とおんなじ地平に料理と掃除がある。掃除はあんまり話題にすることはないのだけれど、実をいうと料理より危険なあそびだ。結果が見えやすく、そこがおもしろいのは料理と似ている。しかしながら、やり始めると次々にいろいろなところが気になって終わらないので、あえてやらないようにしている。掃除は料理のように「作りすぎ」のようなラインがない。掃除をしすぎて困ってしまった!ということはふつうに暮らしていれば起こらないので、それが却ってあぶない。

ここまできて「おもしろくなかったら果たしてこれらをやっていなかったのかしら」と、発想を逆転させてみる。考えるまでもないとすぐ気づいた。基本的にひととうまくやれないわたしが他人と同居をしているのも、今のしごともアトリエも趣味も、ぜんぶ動機は「おもしろいから」だ。

そばにこんなにもおもしろい環境やひとびとがあって、しあわせなことこの上ない人生である。これがまた、おもしろくしようと思って動いていないというのがおもしろい。遺伝子に残存している動物的本能が「おもしろさ」を嗅ぎつけているのかしら。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。おもしろいものはやり始めるとストッパーに引っかからないかぎり、疲れるまでやめられませんで、おおきな課題です。ストッパーづくりをしたいですけれど、いざ作ってみても今度はこれをなかなか守らない。RPGのときからそうで、こまったものです。