◆こじつけの剣と髪の盾

気がつくとだいぶ、髪が伸びていた。思えば前回の散髪は11月のあたま、隔月で髪を切る自分にとって3ヶ月は長い。鞍替えした美容院が火事にあって休止中の間、どうしようか考えあぐねていたら、あっという間に時間が流れていた。けっきょくもと行っていたところでやってもらおうと思ったものの、なかなか予約にこぎつけない。決してわるい人ではない。たくさん話しかけてこないし、腕だっていい。ただ「あの」美容院のおじさんを知ってしまうと、よそでお願いする気というのがどうも失せてしまうのだ。

芸術家肌のおじさんがこしらえた「かんぺきな」ツーブロックはすっかり影をひそめ、すっかりショートカットのシルエットと化した。長らく理想の髪型に踏み切れずにいた過去を思い出し、センチメンタルなきもちになる。そろそろ切らねば。そろそろ切らねばという焦燥感が、いたずらに心を揺らしていた。

先週、風の強い日があった。足に力をこめてペダルを漕いでも押し返されてしまう。おまけに風向きがひんぱんに変わって、重心がぶれる。先月自転車とぶつかってけがをしたばかりだというのに、新年早々「風に転ばされてけがをしました」など、笑えない。ハンドルをつよめに握った。いつぞや書いた風のビンタなどという言葉では甘い。北風の乾ききった、鋭利なタックルだ。

北風タックルを受けながら頭をよぎったのが、髪のことだった。もさもさと伸びた髪のおかげで防寒具がなくてもこまらない。髪は束になるとあんがい暖かいようだ。これがもしツーブロックならタックルが地肌に直撃して、ひりひりと痛んだことだろう。美容院に行けない不自由が、わたしを守ってくれている気がした。

きのう因果応報という熟語が全身に染み付いているなどと振り返っていたけれど、さっそく実感するとは思いもよらなかった。もはや今回の件はこじつけと呼んでさしつかえないような気もするが、ねくらのわたしが前向きに生きるために「こじつけ力」は大切なのかもしれない。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。うしろむきにこじつけるとめっぽうこじらせてしまいまして、こちらはこまりものです。

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