外出したとき、床に直接かばんを置けない。得体のしれないきたなさを感じてこわいのだ。レストランの荷物カゴにかばんを入れるのも、ほんとうは抵抗がある。床に置かれたことのある荷物が入っていたかもしれないと思うと、おそろしくてならない。アトリエでも荷物置きがいっぱいのときは、かばんを膝に乗せて制作をしている。アトリエでだめだということは、あらゆるところでだめである。

そういうわけで、どこへ行くにしても荷物を減らしたいきもちがある。理想はかばんを持たずに出かけることだが、遠出となるとそうもいかない。

ある日、友人に本を返すため紙袋に入れた。何を思ったのか、それを一回り大きな紙袋に入れて出かけた。本の入った小さな紙袋を友人に返し、空になった大きな紙袋にじぶんの本と手に持っていたクラッチバッグを入れた。すると、なんということだろう。床に置いてもこわくない。木陰にいるかぶとむしを見つけた小学生のように、わたしの心はきらめいた。雑がみを入れる器でしかなかった紙袋が、たちまち鎧と化した。水や衝撃でかんたんに汚れたり壊れたりするので、後腐れなく捨てられるのもきらくだった。鎧はその身を守ってこそ真価を発揮する。

さっそく家にある紙袋を物色してみる。たくさん買い物をする家ではないのに、我が家はやたら紙袋がたまる。さわりごこち、デザイン、持ち手、どれもぜんぶちがう。購買者が持って帰ることを意識してつくっているのだと気づく。床に置くためだけに使うのはもったいない気もするけれど、使わないとたまってしまうし、たまったら雑がみとして捨てられる末路だ。いずれにしても捨てられる運命なら、最後にかばんを守って一花咲かせるのも乙かもしれない。現役を退いて隠居している老兵士が、はるばる訪ねてきた主人公の仲間になるシーンが頭に浮かんだ。つまり紙袋は、そういうことだ。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。今も小学生はかっこいい虫に心をおどらせるのでしょうか、それともデータ上のSSRのほうが心がおどるのでしょうか、気になります。