■感じとる時間

X(旧Twitter)を控えて1ヶ月たつ。よく行くお店の営業の有無と、ゲームの予約以外はほとんど困らない。2013年頃から今のアカウント、その前のアカウントがおそらく2009年くらいだろうか、そのすさまじい年数の割に、手元に残る記憶は少ない。決してつまらなかったわけではなく、むしろ楽しい時間を提供してもらっていたと思うが、ものすごい時間がインターネットの海の中に消えてしまったことになる。

広告がとうぜんのように入るようになって「見たくない情報であればむりにみる必要もないか」と思い距離をとりはじめたが、結果、本を読みやすくなったりだらだらスマホをしてしまうことが減ったりして、今のところ、いい影響の方が多いかもしれない。

また、ふらふら出掛けて、この世にあるよしなしごとをぼんやり考える時間も増えた。この時間のあることが今の自分にはありがたく、考えた事柄を書くこととあわせて、じぶんの時間・空間をもてていると実感できている気がする。現実の海の中にいても、記憶に残るものはそんなにたくさんないのかもしれない。それならば、現実はインターネットよりも何が「いい」のだろう。暫定的な答えとしてはその「身体性」と言わざるをえないが、メタバースなどが発展していっても同じことを答えられるだろうか?人の感覚は考えている以上に脆弱で騙されやすい。しかし、それならそれで流れていくし、よいのかもしれない。

ともかく、今のスタンスについて、時代錯誤と言われればそれまでだが、今はなんだかそれくらいがちょうどいいのだ。

読んでくださり、ありがとうございます。このサイトも広告をどこかで挿入したのですがなくしたくて、どこだったのか全然思い出せず、今。自分がこうなってくるといよいよ消したい思いがつのっており……。

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