◆ことばの修行

所属している文芸同人「かもめソング」の先月の原稿から、主催の雨伽詩音氏と竹雀氏に赤入れをしていただくようになった。結成二年をむかえ、今後もなにかを書いていくというのであればこのままではいけない、と思ったのがきっかけだった。わたしは会話もへただが、文章もなかなかのへたさだ。今よりも読みやすく、よいものを書きたいという気持ちが募っていたのだった。
このことを詩音氏に相談したとき「正しい言葉の使い方を意識していけばおのずと文章は上手になりますよ。」という答えをいただき、赤入れををしていただくに至った。
アナスタシア
アナスタシア 2
それがこちらである。骸骨博士以前の作品と読み比べると、多少は読みやすくなっている???と思う(宣伝)。
いざ赤入れをしてもらうと、自分の文章の傾向が如実に表れた。「~れる」「~られる」という受け身の表現が多いこと、主語が後ろに寄りがちなこと、登場人物の描写に乏しく、読者側が彼らの動きを想像しづらいことが主たる指摘点であった。もちろん言葉の使い方が誤っている箇所もあった。いかに自分の世界の中でしかものを考えていないかが浮き彫りになった。第三者の視点が全く足りていない自らを戒める。
おふたりはたいへんな読書家で、想像力も豊かなのでわたしの拙文の状況を把握できるが、他の方がこの話を読んだとき、一体どこまで伝わっているのだろうという気持ちにさせられた。図ったとおりに全てが伝わってほしいわけではないが、少なくとも骨格の部分が伝わらないとその後のストーリーと噛み合わなくなる可能性がある。「書く人は、ことばが読者の手元に渡った以上、読者へすべてを委ねることになる。自分が思っているふうに読んでもらうことを祈るほかないのだ。」というようなことを書いていたのは金井美恵子だったか。それがこの拙文にも起こっているのだった。

今後も赤入れをしていただきつつ、精進してゆけたらと思っている。今日も読んでくださり、ありがとうございます。おふたりでなくとも、意味不明な描写は遠慮なく指摘していただけるとうれしく思います。
また、上に書いたものはこの本のあとがきに記されている。本を既に手放しているので正確な文面は把握していないが、ことばに対して真摯に向き合っていらっしゃる作家のひとりである。

コメント

  1. […] ここでも何度か書いていると思うが、わたしは自分の文章がきらいだ。文芸同人の方でいちばんはじめに書いたものとわりと最近のものを読み比べると「まぁ、少しは小説の体をなしてはきたのかしら」と思えるのだけど、頭に浮かんだ世界を忠実なことばに置き換えることは到底できていないし、何よりつまらない。「なぜこんなにもつまらないのか」と絶望するときもしょっちゅうだ。おそらくどこまでいっても自分の文章に満足することはないのだけれど「それにしたってもう少しましなものは書けないものか……」いつもそんなことを思う。 そういった経緯もあって以前書いたように、自分の書いた小説の赤入れを、文芸同人をいっしょにやっている友人におねがいしている。彼らは友人同士の半端なやさしさで「おもしろいね」「いいね」と手放しには言わず「過去形が続いてしまっているから現在形を混じえるといい」「動作に関わる単語が多くなっていて、人物の感情がわかりづらい」といったことをちゃんと伝えてくれる。作者自ら「つまらない」と思っているものに対し、いやな顔ひとつせず目を通してくださるものだから、頭が上がらない。それに彼らが紡ぐことばはいつだって真摯だ。自分の文章ありきの赤入れだが、ことばを尽くしてくれるひとに対して精一杯のことばを尽くしたい気持ちがわいてくるのは自然なことのように思う。それでもなかなか手癖というのはなおらないもので、ついつい人物の動作を全て描写してしまう指先がある。 それにしても、おふたりとも忙しい時間を縫ってわたしの駄文を見てくれている。それはわたしと向き合ってくれている時間と言い換えてもいいのかもしれない。自分からお願いしたことだというのに、彼らがそこまでしてくれるのは一体なぜなのかと思うときがある。今まで浅い人づきあいばかりをしてきたわたしにはあまりにも不可解で、慈悲深いおくりものである。 今日も読んでくださり、ありがとうございます。今日は連載の更新日でした。こちらに夜の7時ごろ上がりますので、よかったら……。 […]

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