前回の茶会のとき、こんなことを聞かれた。

「『ウシジマくん』が終わってさ、代わりにたのしみになっているものとかないの?」

わたしはないと即答した。ゲームや読書はたのしみだが『闇金ウシジマくん』とは質が異なる。

「熱烈にはまってるものがフッとなくなると、生活のハリがなくならない?」

そのことばを受け、考えた。そうか、そういうものか。じゃあわたしも?たしかにそうかも……いや、そうでもない……全く……むしろ、いい方向へ進んでいるような気さえする……。途切れ途切れになりながら、そんなことを答えた。

『闇金ウシジマくん』が終了してから、あきらかに読書と物書きの時間が増えた。「月曜にスピリッツを買う」以外の習慣は変えていないので、違いは『闇金ウシジマくん』の有無と、14日の外来で追加された睡眠薬だけだ。『闇金ウシジマくん』に割いていた期待や高揚はあんがい穏便なかたちで鎮まり、しぜんと別のことをする活力へと変化していったようだ。中学校の理科でならった「質量保存の法則」のようである。おかげでいろいろなものを書けて、読めて、それによってさらなる情報交換ができて、読みたい・書きたい・知りたいはさらに深まってきている。そんな暮らしがおもしろくてならない。

これまで連載終了の喪失を嘆いてばかりいたが、ぎゃくに連載が終わったことで、どうやら前より豊かな日々を送れているらしい。また、ちょっと前に書いたけれど『闇金ウシジマくん』は自分の価値観の礎にもなっている。リアルタイムの連載とは別の形で「ウシジマ」はわたしの中で生き続けている。何も彼の代わりにならず、そのままの形で、わたしと共にある。そうであるからこそ彼に代わる「たのしみ」がなくてもたのしく、生活のハリも維持されている。

何度書いても書き足りないほど、作者の真鍋昌平先生と、編集部のみなさまに対する感謝の心でいっぱいである。新連載が秋から始まるというが、たとえなくてもおそらくわたしは、みずみずしく生きていられる気がする(でも、とても楽しみにしています)。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。連載が終わってからのほうが『闇金ウシジマくん』のことを書いてまして、これは死んだ人を偲ぶときにいろいろな話が出てくるのと似ているのかしら。