ひとは、置かれた環境に応じて適切な(と思われる)キャラクターを形成する。どうやら家・職場・アトリエ等々、対面する相手ごとに表出する顔が違うようだ。中でもすきな顔ときらいな顔があるようで、その傾向性もなんとなくわかってきた。


快い環境にいると、すきな顔が出てくる。そういったときは自然と緊張が解け、穏やかになる。そういう状況で紡ぐことばはだいたい口当たりがよいというか、棘が少ない(気がする)。会話の間に生まれる沈黙も、ふしぎと心地よい時間と化す。彼(彼女)と別れて帰途についたあとも、その余韻が心地よい。他方きらいな顔が出てくるのはその対極で、別れたあとも無味乾燥か、ひどいときは苦味が残る。おまけに「どうしてそこへ行ってしまったのか」等の自己嫌悪する時間も発生し、暗澹とした日暮れを迎えることとなる。
一定の環境がつくられるのには場所やジャンル(文学とゲームではやはり大きく違う)の空気感もあるが、それよりもその場にいる人によって大きく左右される。その人のもつ雰囲気や考え方、いでたち、話し方などがぎゅっと詰まって、最後にジャンルがおしりにつくようにしてひとつの環境ができあがる。いわばわたしの顔は、そのときそのときで対面する人たちが引き出しているといっても過言ではない。
すきな顔を引き出せる人のことは自然とすきになってしまうし、また会いたいと思う。しっかりと時間を確保し、途切れ途切れでぎこちなくとも丁寧にことばを尽くしたくなる。思いがけず相手から「いい時間でした、また会いましょう。」などと言われた折には、この上ない幸せが降ってくる。そしてふしぎと、そういった人とはまた会う機会ができる。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。今年は温かい循環の中にいることが増え、たいへんのどかに暮らせています。置かれた環境と顔が不一致だなぁと感じるときは、思い切ってつきあいを変えてみてもよいのかもしれません。