◆ことばも熱中症

 書くことを再開したものの、アウトプットのままならない日が多い。前職ほどの余裕がないとはいえ、まったく書けなくなるほど忙しくはない。夏から少しだけ生活のルーティンが変わり、まだ定着していないことも大きいかもしれないが、やはりそれほど大きな変化ではない。
 頭のなかで浮遊していることばがまとまらないまま滞るのは、なかなかはがゆい。なんとかノートに書き留めたことばもあまりに断片的すぎるとことばを結び付けられない。点と点がつながらない。片腕の欠損した星座を見ているようで、書けないかゆみだけが残る。

 一方で、日に日にインプットは増えている。仕事も生活もさまざまな人とのやりとりがわたしに考えるきっかけを与えてくれる。今まで考えたことのなかったことにふれてみると、世界が広がっていく感覚にわくわくする。おそらくそういったことの積み重ねが、ゆっくりと人を変化させていくのだろう。わたしは飽きっぽいところがあるので、新しい刺激が常に入り続ける環境はありがたい。残念ながらキャパシティは大きくないので処理が追いつかず、ことばが霧消してしまっている、というのは正直ありそうだ。

 いくらたくさんのことばが入ってきても、自分の中から出ていかないのは代謝が悪い。9月に入ってもまだまだ暑いからか、熱中症を連想してしまう。結実したことばを忘れて固まり、外に出ていかずに詰まりつづける。汗をかけなくなる。ばらばらのことばが頭の中にたまる。熱が体の中にたまる。なぜかことばが代謝しなくなると、部屋も荒れてくる。部屋をどうにかしたい。ほのかな苛立ちがある。まっ白い床におちた髪の毛のいっぽんいっぽんが、気になってならない。

 読んでくださり、ありがとうございます。熱中症でいうところの塩分水分がことばにもほしい。

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