◆絵をかくのがたのしい〜趣味のこと〜◆

─絵
とってもうまいわけじゃないのだけれど、練習して新しいことをおぼえたり、それによって上手になっていく過程を見られるっていう一連の流れがすきみたい。音ゲーもそうだし、勉強だってそうだ。というか、たぶんおよその事柄に関して、そのような側面は見出だせる気がする。

なかでも絵は自分の趣味の中でいちばん、目に見える形となってあらわれてくるので、完成したときのやりきった感情が大きかったりする。そんなこともあって、絵をコンスタントにかいていきたいな、と思っている。

さておき、RPGに割く時間が減ったことの要因は、上述の過程→結果までの1クールが非常に長時間かかるというのがありそうだなーと思った。
たとえば音ゲーなら、最短2分で結果が出るわけだし…RPGで2分というと、オープニングさえ終わってないゲームがあるのではないか?という印象だ。余暇の時間が有限であることを考慮すると、すきま時間にRPGを差し込むというのが、どうしても難しくなってきてしまう。

今の趣味は音ゲーと絵と本を読むこと、ものを考えること、このブログよろしく文を書くことなのだけど、なんだかんだ先のふたつに割く時間が多くて、時間に対する成果の出やすさに起因しているのかなあと思ったりした…が、絵を描くのと文を書くのだと圧倒的に文のほうがはやく形になるんだよなあ。
絵は紙(アナログ媒体)で、文はインターネット(デジタル媒体、しかも長文はパソコンでしか書かない)から、アクセスのしやすさもあるのかな。毎日パソコンするわけじゃないし…。
ものを考えることに関しては、ほとんどいつもやってるから、必ずしも形になるわけじゃないときもあるけど、こういうふうに形にしたり、人と話して煮詰めたり、はたまた迷走したりするのがたのしい。ほんとうは気になったことはここにメモしたいのだけど、習慣化してない。

─しごとのこと
仕事にかんして、ねたい帰りたい〜というマイナスのきもちと、その日学んだことやおもしろいことがあったりしてよかった〜という相反するプラスのきもちの間でわたしは働いているわけなのだけど、それはひとえに職場の人たちがいい人達だからっていうのが大きいような気がする。つまりは人間関係とかお金のこととか時間とか、仕事の内容そのものにかかわらない二次的なこと(お金に関しては「かかわらない」とは言い切れないけれども、ひとまずは)でそこまで頭を悩ませなくて済むので、こころにゆとりがあるのだと思う。

そもそも今やっているしごとは興味関心のある分野のことであるから、勉強になるとかためになるとかいうことが多いのは当たり前といってよいような気がしていて、ではそれらを楽しむ余裕がどこから生まれるかというと、いかに仕事に関係ない要素に妨害されないかってことなのではないのかな…。

わたしは興味のないことに打ち込めないタイプなので、こういう結論になるわけだけれど、仕事を金銭と割り切ってるタイプの人がいたら違う結論が出そうですね、もしいたら聞きたい。

─全然関係ないけど
ウシジマくんにある「金が全てじゃねぇが、全てに金が必要だ。」というせりふが最近頭のなかに居座ってる。

あとは高齢者ほんとうに増えたなーっておもう。福祉ってお金が増える業界じゃないし、直面している賃金や人手不足の問題とかみあわないよねえ。

あと仕事柄、健康保険制度に関してほんとうに無知な人が多いなーっておもう。なぜ自分たちを守る制度に関してあれほどまで無関心であるのか?たぶん健康保険に限らずそうなんだろうけど、もっと身の回りの仕組みとか制度のことはちゃんと頭に入れておいたほうが損しないし、利用者提供者互いのためにもいいと思う。

しごと、未来のある人たちにコミットしていきたいなあとおもう。未来のある、という範囲に関して未だあっちこっちしているけれども…明確に決められるものでもないような気がする。

さてウシジマくん32巻なんだけど、やっぱりウシジマくん周りの話になると、やくざとかヤンキーが出てきてチャカポコしだすので、あんまりおもしろくないね…。ウシジマ読者層的には、どうなんだろうなーと思ったりした。
人間の屑(の極みのようなひとたち)の堕落のようすをまざまざと描く、あのリアルさと陰鬱さがわたしはすきなのだけれど。

─といったところで、
そろそろ陽気が顔をのぞかせる季節になってきて、一年の終わりを感じます。
お休みの日が雨ばかりなのも卒業してくれるとうれしい。

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