◆「無理をしないでね」の罪

「無理をしないでやっていきましょう」、支援者はこういったことばをかんたんに使う。支援者と利用者の間には、知らず知らずのうちに階層ができる。「支援している」という事実から、どこか支援者が上の立場に立っているような錯覚が起こる。その空気を、利用者もさりげなく感じ取っている。そのため、だいたいの方が「はい、そうします。」と答える。

 しかし、わたしはこれを放っていつも後悔するし、ときに怒りもわいてくる。「無理をしないって具体的にどういうことなんだ?」。はっきりいって、全然イメージがわかない。がんばらないこととも、がんばりすぎてだめになってからわかることとも違う。いいことを言っているようで、実は何も言っていないような気がしてくる。「わたしはあなたを心配しています」ということしか、実は伝わっていないのではなかろうか。 じっさい、わたしが同じことを言われたら「それって、どういうことですか」とつっけんどんに返してしまうだろう。そう言わない利用者のみなさんはすごくえらいと思う。おとなだ。自分のような小娘に支援される利用者の方に対して、申し訳なさがつのる。3年目とはいえ、まだまだほんの雛鳥にすぎない。

「無理をしないでね」のほんとうのところは、「体調を崩したり症状が再燃したりしないラインを、福祉を使っている間に具体的に見つけて、就労(もしくは次の行き先)へ活かしていきましょう」だろう。このラインを探すことが、これから健やかに生きていくために必要なことのひとつだと考えている。とくに精神疾患の場合は中途障害になることが多く、今までできていたラインと発病後のラインが異なることはままある。気持ちの上では発病前のラインを目指していても、それがどうしても難しくなってしまうことは枚挙にいとまがない。そこを共に確認し、進んでいくのが肝要なのではないか。
 しかし、いざここで「無理しないでください」だけでは、相手に投げっぱなしになってしまう感じがする。これを具体的に咀嚼し、より深く自分を知るために、彼らは福祉に身を投じたのではないか?これに対してあいまいで耳触りのよい「無理しないでね」を放つことは、ある種支援の放棄ともとれるのではないか?「がんばりましょう」もそれと似ている。どんなふうに?どれくらい?いつまで?ときに、こういった何気ないふわふわとしたことばに、混乱してしまうひともいる。

 そこでまずは、自分にとっての「無理しないでね」ラインを考えてみることにした。なにを隠そう、バイトを始めたときに「無理をしないでね」とたくさんの人に言われ「はい」と答えてはみたものの自分の「無理」がどのラインにあるのか全くイメージがわかなかったのである。
 文字数が多くなってきたのでふたつに分けるが、次はその話をしようと思う。

 読んでくださり、ありがとうございます。他人からのあいまいな指示に混乱するくせに、相手にあいまいな助言をしてしまうのはダブルスタンダードでしょう。もっとことばを身につけないといけません。これは自戒をこめた記事です。

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