いまさら書く必要もないが、カレーがすきだ。外食の99%はカレーをたべているので、外食といえばカレーというイメージかもしれない。どうしてこんなにもカレーがすきになったのかはよくわからないけれど(実家のカレーも、給食のカレーもすきになれなかった)、最近はカレーを出発点にして、インドの宗教や歴史、哲学にも興味がでてきた。こうしてみると「カレーは万物の母なり」といっても過言ではないのかもしれない。すごく、スパイシーです……。
今回は引っ越しの準備をしていることもあり、インドの食事に関する思想を勉強してみようと図書館でアーユルヴェーダの本を借りた。アーユルヴェーダは直訳するとScience of lifeということで、5000年前からあるインドの伝統的医学だ。医食同源やヨガ・瞑想などを通して健やかに過ごしていきたいな、という予防医学的な側面が大きい。
アーユルヴェーダでは自然のエネルギー(土水火風空)でからだを構成していると捉えていて、そのエネルギーのことを「ドーシャ」と呼ぶ。ドーシャにはカパ(水)・ピッタ(火)・ヴァータ(風)の3種類があり、これらのバランスがとれていると健康、逆にバランスを崩すと何らかの症状が出てくる、という考え方をしている。とはいえ、人は生まれつきいずれかのドーシャが多かったり少なかったりするうえ、季節や時間、さらには年齢によってもドーシャのバランスは変化するようだ。今はインターネットでも自分の中で優位なドーシャを調べることができる。
自分の優位なドーシャがわかったら、体質について知っていく。わたしはピッタの項目にあてはまるものが多かったので、ピッタ体質らしい。
いずれのドーシャが優位だったとしても、結局はバランスがとれているかどうかが重要だ。ひとつが突出して多い場合は、それを減らしていくことでバランスをとるようにとあった。少ないドーシャを底上げして揃えるのはいけないらしい。
たとえばわたしはピッタ体質なので、ピッタを減らすためにはギー(牛乳や無塩バターを煮詰めたもの)を食べたり、よい香りを嗅ぐことが効果的らしい。ギーは未食なのだが、わたしはバターを直食いして「おいしい」と言う輩なのでおそらく相性はいいだろう。匂いについては、今わたしの生活の中にもよい香りも悪い香りもない。あてはまる症状(本によると怒りっぽい、消化器の不良など)のあるときは、いちど試す価値があるかもしれない。
また、アーユルヴェーダでは「消化力」ということばがひんぱんに出てくる。本によると「ガスや粘液などの副産物を作らず、食べたものをきちんと取り込み、不要なものを排出すること」とある。どういうことやら?と読みすすめると、摂取したものをきちんと代謝できるのことのように思える。この消化力は朝強く夜弱いそうなので、巷でよく言われる「朝はきちんと、夜は少なく」というのはアーユルヴェーダ的にも理にかなっているようだ。
長くなってきたので詳しい食事のことは記事を分けよう。
読んでくださり、ありがとうございます。すきなことから別のことへ入り口が広がっていくのって学問のおもしろさです。カレーは入り口。
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