◆活動意欲下降操縦

おととい「同じジャンルの余暇活動はできる量に限界がありそうだ」ということにふれて以来、ずっと気になっている。ひとたび気になると納得するまで考えこんでしまうので、ときに優先すべきことが手につかなくなることもある。こまった癖だ。今まさに、優先すべきことが手につかなくなっている。しかし、ここでぱたっと考えるのをやめられるなら今まで苦労してこなかったはずなのだ。どうしようもないと割り切る。ほかに書きたいことや、そもそも書かないといけないものもあるけれど、しかたがないのだ。

料理読書文章ゲーム、すべての余暇がたのしくてたまらない。けれどもその内訳が気になる。とりわけ料理や文章といった、自分で考えてなにか作る活動のバランスがよくない。それがおとといの話だった。おそらく、モチベーションをコントロールできれば均衡がとれて、問題は解決する。言うだけならかんたんだ。ここまではおとといの時点で頭にあった。

世の中にモチベーションを上げる方法は多々あれど、下げる方法というのはみたことがない。じっさい「モチベーションを下げる方法」で検索してみると「部下のモチベーションが下がるnの方法」と冠した上司サイドへの戒めや「モチベーションはむりに上げなくてもいい」というマイルドなコラムや、なぜか「モチベーションを上げる」という真逆の記事も引っかかってしまい、Googleの悪意をかんじる。唯一みつかった「モチベーションを下げる方法」は、過去の失敗を思い出すとか自分の欠点にフォーカスするとか批判に過敏になるといったネガティブなおもむきで、あまり採用したいきもちになれなかった。もっと前向きにモチベーションを下げようとしたひとはいないのだろうか……。

2日やそこらで妙案は浮かばない。せいぜい「ゲームは1日1時間」にならって時間で区切ることくらいだろうか。モチベーションにかぎらず、きもちのコントロールはむずかしい。感動すればいやでも心は打ち震える。不快なものに対するいらだちが顔に出なくても、いらだちそのものを消去することはできない。モチベーションもおなじで、意のままに消去できないのだ。風にさらされて、勝手に落ち着いたりいなくなったりするのを待つほかない。ある職種では「待つのもしごとのうちです」と言われることがあるというけれど、自分の余暇において待ちが発生するとは思いもしなかった。だいすきなゲームですら待つのがきらいなわたしが、果たして待てるのかどうか……。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。東方Projectのようなタイトルになってしまいましたし、内容もみなさまからすると何の足しにもならないのですが、わたしのぎりぎり納得できるところにたどりついたのでいったんこだわるのはおしまいになりまして、ここで「おしまいにできた」というのにおおきな意味があります。

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