友人・詩音市の「ふたつの棚」というエッセイを読んだ。「もの」にまつわるすてきな一編だ。景観の美しさもおせじにはいいと言えず、治安がいいわけでもない。こんな、ネガティブな印象をもつ土地が、とある棚の記憶によって価値の反転がおきるという、実に興味深い内容である。
いっぽうで、わたしはとにかく「もの」を捨てる。羽化したら不要になるさなぎのように、どんどん捨て置いていく。なにせ「もの」にはいい思い出がない。目を閉じて、実家の光景を思い浮かべる。母親の部屋。その時の流行で迎えられては忘れられたものたちがうず高く積まれた部屋。死骸の山。
そんな母と隣り合っている父親の部屋に、あるのは布団とテレビだけ。ほかにはなんにもない。父親がごろりと寝そべっていさえすれば、それでよかった。今でも帰省すると薄い布団の上でゴミのように寝そべる。最高の時間だ。まさに“ i like to lie on the ground and feel like garbage…(床に寝転んでゴミのような気分になるのがスキなんだ……)“(「UNDERTALE」Napstablook宅のシーン)である。
廊下を抜けてわたしの部屋ときょうだいの部屋。机・布団・本。すっきりしている。おびただしい量の死骸を見た反動だろうか。帰るたびに少しずつ部屋はせまくなっていく。謎の健康器具、いつぞやのベストセラー、ライブのグッズ。実家を出たわたしたちの部屋は、そういったものの墓場になりつつある。家全体が「ものの墓地」になる日もそう遠くないのではないかと、暗澹とした気持ちになるときがある。
そんななかで、彼女のエッセイは決して自分の思い出と重ならないのだけれど、とても励まされた。彼女の、ものに対する深い愛情を感じ取ったからかもしれないし、ものにまつわる「いいこと」そのものへのあこがれなのかもしれない。理由ははっきりとしないのだが、とにかく、読んでよかったなという思いに包まれたのであった。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。ひとのエッセイを読むよさってこういうところじゃないかと思います。
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