1月半ぶりに朝おきてパソコンをひらいた。立春から1月経つが、5時半はまだうすぐらい。けれども電気をつけるのはいやで、目に悪いとわかっていながらうすぐらのまま書いている。
ここにいない間に何をしていたかというと、不安でいっぱいだった。生活としごとというふたつの大きな軸が変わることに、非常に緊張していたのだ。暮らしはふたりからひとりになるし、はたらく日数も増える。なかでも気にかかっていたのは、アトリエにいけなくなるかもしれないことだった。さまざまなことが決まらないまま浮いていると、徐々にエネルギーをうばわれていく。わたしは不安をさきどりしすぎてしまう上に、ひとたび出てくると頭がそのことでいっぱいになってしまい、周りのことがおろそかになる。この間はほぼ自炊ができなかったし、水場もそうじが行き届かずだいぶよごれてしまった。
3月に入ってようやく転居先の目処がたち、しごとの構造も見え、アトリエにも(おそらく)行ける取り交わしも済ませ、こころの余裕がでてきた。おかげでごはんを作ったり本を読んだり、音楽ゲームを遊べるようにもなってきた。おおげさかもしれないが、「日常に戻ってきた」感じがする。
変化の苦手なにんげんにとって、未確定の連鎖はクライシスである。2ヶ月ごしに日常に着地して、心臓の鼓動がもとの大きさに戻ったような気がする。
読んでくださり、ありがとうございます。下書きがいっぱいあるのですが、なんのことやらというメモでいっぱいです。
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