■辺境と中心

相対的な概念であるが、中心から離れることでみえるものもある。障害もその数は多くけっして辺境とはいえないまでも、世間的認識としては未だ押しやられているほうかなといった肌感覚がある。歴史の中でも花形(テストの範囲が広い、のほうが適切か)であるヨーロッパよりは、東欧や中東の歴史の方がおもしろかった記憶がある。地方に実家をもつ友達から「東京にきてびっくりした(故郷ではなかった習慣や文化)こと」を聞くのもすきだし、故郷にはあるのに、東京にはない!と驚愕する話を聞くのも楽しい(東京が中心であることについては、精査すると不適切な点もあるかもしれないが、今回ではふれないでおく)。関係ないかもしれないが、マンガなどのフィクションで主人公をすきになることは少なく、端に描かれる仲間のキャラクターがすきだった。これは今でもそうだな。

さて、生まれてこのかた東京で暮らしていることと、「辺境的なもの」に惹かれていることは、考えてみると矛盾しているような気もしてくる。東京など中心も中心、辺境などどこ吹く風である。特段東京が大好き!というわけではないが、「暮らす」という視点でいうと、他を知らずイメージが全然わかない。旅で泊まるのとはレベルがちがうだろう。

車の運転がむずかしいという大問題があるため、仮に転居するとして、行けるところはきわめて限定されるが、中心といわれる土地から離れることで、中心の見え方は変わるのだろうか。そのうえで、かつて自らのいたところはどう相対化されるのか。もしかすると、東京の方が「辺境」である可能性だってある。

そういうわけで、一度別の場所で暮らすことを夢見ている。「夢見ている」とはいうものの、別にもう経済的に自立した状態であるから、「いつ」「どこに」行くかだけなのだ。本当は。

読んでくださり、ありがとうございます。移動する大きなきっかけがないこともくすぶってしまう理由のひとつですが、やらないことにあまり理由をつけたくないのですよね。

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