◆褒め上手に「のる」力

 今の職場に誘ってくれた人(師匠にあたる)はかれこれ4年前に出会ったのだが、実は長らくいっしょにしごとをする機会がなく、去年の春によい巡り合わせがあって、一緒にプロジェクトを進めることになった。プロジェクトを進めるうちに、支援にまつわる思想の完成度の高さと、徹底した論理性にほれこみ「この人に弟子入りしたい」と思うようになった。ある日、思いの丈をそのまま(ほんとうにそのまま「○○さんの弟子になりたいです」と言った)伝えると「御影さんはしっかり育てます」ということで返事をもらい、ほどなくして転職を勧められたのであった。わたしは「おもしろい」と「かっこいい」に抗えない星の元に生まれているので、あっさり前職を離れた。

 師匠のいいところはその人柄もさることながら、人を褒めるのがうまいところだ。褒め上手というのは量よりも質とタイミングである。たとえば、現職の同僚とくらべてわたしは文章を書くのが得意なのだが(あくまで相対的な話である)、支援のしごとはそのイメージとは裏腹に案外書く機会が多いので、たとえば計画を作っているときなどにさりげなく褒めてもらえるときがでてくる。以前ふれたように、計画作りには苦労するので、評価してもらえるとうれしい。さらに、欠けている考え方や視点についても補足してくれる。つまり、まだまだ伸びしろがあると師匠が思ってくれている、ということである。それに気づくと、さらなるモチベーションになる。この循環がよりよい支援を生み出しているのであれば、自分と師匠、そして利用者にとってwin-winだ。まだ転職して日が浅いので成果は結実していないものの、そうなっていけばうれしい。

 しごとだけではない。さいきんは懇意にしている人がいて、その人も褒めるのがうまい。わたしの認知特性の問題から、その意図を理解できないときも多々あるものの、ひじょうに前向きな言葉かけが多い。師匠をはじめ、職場の人たちのおかげで他者評価をそのまま受け入れられるようになってきているので、これまでの癖でつい「疑わしいな」と思っても、とりあえず「そのひとのことばとして」そのまま受け取っておく。するとどうだろう、一度疑いのフィルターをかけたものよりも、ことばが混じりけなくうるおっている。そのままうれしそうにしていると、相手もまんざらではないようすをしている。

 これができるようになって初めて気づいたのだが、世の中にはすてきなことばがたくさんある。自分の認知が相手の視点を歪めてしまう前に、投げたそのままの状態でキャッチしておく力が、不必要に不幸にならないためにはけっこう大切な気がしている。わたしは自己評価がひじょうに低いので、おそらくこれまで相当損をしてきたが、近頃は少しずつ、褒めことばにうまく乗っかりながら日々、楽しく過ごせるようになってきている。

 読んでくださり、ありがとうございます。幸せも不幸せも、自分の受け取り方しだいですぐにかなってしまう気がします。とくに認知特性の歪みのある人やバイアスの強い人の場合、どちらも大きく動かしやすいかもしれない。ただそれの根底には安定した人間関係が必要で、そこの構築がむずかしい。長らくぐらぐら過ごしてきて、思うところはそんなかんじです。

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