9月3日に、AIを用いた商品が日清食品から発売される。
「日清トマトチキンカレーメシ AIが考えた」
倒置法の商品タイトルが目を引く。AIが「考えた」というので、日清食品側はAIにある程度の人格性を匂わせているようだ。日清食品の開発部とAIが一緒に作ったという、近未来的な(もはや「現代」なのだが)チーム感が胸を踊らせる。ついに時代はここまできたのだ。去年だったか、人工知能が書いた小説が話題になった。まだ課題は多く残されているというが、だいぶ体裁は整ってきている。
AIが書いた小説を特別公開
今後は食べ物に限らず、さまざまなデータを利用してAIが選定した商品が出てくるだろう。それがVtuberとコラボレーションなどしてみて、盛り上がる日を想像してみると、なんだか楽しい。しょうもない例で申し訳ないが、サブカル厨二系の引きこもり美少女Vtuverが厨二病にありがちな表現やシチュエーションを分析し、自作の厨二SSを朗読してみた、とか。なんとなく、AIとVtuberは相性がよさそうだ。
今までの長い歴史の中で蓄積したデータを分析・処理してくれるものが現れ、既存の技術と連携することで、人間のやるべきことはどんどんなくなっていく。もちろんデータの元になるのは人間の行動なので、いろいろな人がいろいろなことをすることでデータは充実していく。AIが賢くなってきた今、種々雑多なデータとして記録されることが、人間の役割まではいかずとも、求められることのひとつになってきている気がする。Googleやスマホアプリも、初期設定を放っておくと会話のログや訪れた場所等、いろいろなデータが運営サイドに渡っていることがあるというし、現代文明に利便性を感じつつも不安は残る。
AIによってもたらされる恩恵を享受しつつ、今やこれからの時代において人間存在に重きが置かれる部分はどこにあるかを考える。情緒的な部分だと言いたくもなるが、それが絶対的といえない未来がある気もする。結局のところ人間の生活を豊かにするための手段がAIだというところにしかたどり着けなかった。一般人並みの知識なので当然といえば当然なのだが。
順当に生きていれば、少なくとも2045年に訪れると言われているシンギュラリティ(人工知能が人間の知能を超えること)の目撃者になれそうなので、そのときが楽しみだ。しかし、もう少しAIのことをわかっておかねばとこの文章を書き終えて痛感する。それにしても2045年には中年まっさかりである。いろいろな技術革新が起こっているだろうし、どんな中年になっているのか楽しみだ。
冒頭の話題に戻るが、紹介したカレーメシは一度買ってみるつもりだ。
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