◆生産性に引き籠るひと

きのう「いろいろな人がいろいろなことをすることでデータは充実していく」と書いた。AIがデータを活用するために人間があれこれと行動するのは本末転倒だが、結果としてさまざまなデータがあったほうが人間サイドの暮らしも豊かになっていく気がする。そう考えると、多様性を認めないことは未来の人間たちの首を締めることに繋がるのではないか。

インターネットが一般化した社会では、人の発言がたやすくピックアップされるようになった。それによって「プロではないけれど、とてもすてきなものをつくるひと」や「特に役に立つ技術ではないけれど、むちゃくちゃおもしろいことをしているひと」を発掘しやすくなった。その裏で散見されるようになったもののひとつが「炎上」である。彼らは「自分の価値観に合わない相手に対して過剰に攻撃的な人たち」と言い換えられるかもしれない。その人たちのおそろしいのは、ある程度の割合だとは思うのだが、自らが相手に攻撃的にことばを送っていると考えていないことだ。
「LGBTには生産性がない。」と発言して大炎上した人があったが、あの方もLGBTに対して過剰に攻撃していた自覚はないと思う。自分が普段から持っている自然な感情をことばに乗せてしまったような、そんな感じだった。立場が立場だから大事になってしまったけれど、政治のフィールドにああいった思想の人が自然に紛れ込んでいたというのは、現代人の価値観を表す指標になったといえる。
同時に「炎上叩き」のヒートアップもすさまじいものだが、文字数が間に合わないので今回は割愛する。

今後AIが生産性を肩代わりしていくと言われて久しい。はたして「生産的な人間が正義である」という考え方はいつまで支持されうるのか。生産性の大半をAIが持っていったとして、仕事のなくなった人たちに「生産性なき人」の烙印を捺してしまっていいのだろうか。人間の存在意義を生産性の外に見出さねば、はつらつと生きられる人はどんどん少なくなってしまう気がする。既に少なくなっているような気もするけれど……というか、わたし自身とても生きづらいな~と感じることがあるけれど……そういったときにどう生きていけばいいかを提示できればすてきだと思った。引き続き模索したい。とりあえず、カイシャの収入だけで生きていこうとするのは今後なんだか危うい気がしている。
結論らしい結論が出なかったけれど今日はこの辺りで。読んでいただき、ありがとうございます。

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