◆薄らぐ時間

連休も折り返しといったところだろうか……と書いたところで立ち止まる。指折り数えてみればもう連休は8/11日目、とっくに折り返して最後のカーブに差し掛かっているところだ。今年は旅行などの大きなイベントがないので、のんびりと毎日を味わっているようなかんじだ。物足りないような気はしつつ、これはこれでゆとりがあっていい。

しかしこうも毎日が休みだと、じょじょに曜日感覚が希薄になっていく。週の大半を占める仕事が消え、アトリエの開所日も不規則だ。ゲームをしたり散歩をしたり料理をしたりはするものの、これらに時間の縛りはない。「なにもない」連休を過ごしていると、曜日という概念が抜け落ちていく。わたしは手帳にまいにち記録をしており、それぞれのページにはでかでかと日付と曜日が印刷してある。にもかかわらず、だ。

そういえば祖母の家に住んでいたころ、祖母はしばしば曜日をまちがえていた。言っていることと時間軸がおかしいのでついにぼけてしまったのかと思えば、その他のところはしゃんとしていて、足腰も丈夫である。一体どういうことかとふしぎにおもっていたのだが、この連休で祖母の感覚を共有できたような気がした。

日々のなかで、わたしたちは他人との共通言語として曜日をしばしば利用している。それがほとんど必要なくなっているのがこの「なにもない連休」なのだ。こんなにふしぎでぜいたくな時間もそうそうないなと思う。 ふと、無職期間のじょうずな使い方もこの、時間感覚を失うところにかかっているような気がしてならない。まさに無職になった3年前、これに気づいていれば、何かがちがったかもしれない。

しかし、今のわたしのように扱いに不慣れだと実りもすくない。毎朝起きるたびに、今日が連休の何日目で何曜日かをいちから数え直している。まいにちがなにもないと、まいにちがリセットされる。まるで昔のゲーム機のランキングのように、電源を切ったとたんに自分の存在がなくなってしまうのだ……。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。この連休、悪くはないのですがもうひとつ、といった感じです。

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