◆笑顔の咲く場所

わたしは顔に出る表情と心の中で抱く感情がちぐはぐなことが多い。小さい頃から親に「あんたは顔に出ないもんねえ」と言われつづけ、学校でも「何を考えているのかよくわからない」と言われ、今では友人とブラフ系のボードゲームをしていると「きみとやるのはこわい」と言われるしまつだ。ものごとが笑いのつぼに入ってしまうとかいう不可抗力的な刺激がないと、感情がアウトプットされるときに正常というか、一致した結果が出ないのだ。

これは特に深い理由はなく、これまでの人生でしぜんに形成されてきたものだ。とくだん心中と、表出するものの一致の必要を感じてこなかった。さほどお金を使わない人がお金をほしがらないのと似ている。

いっぽうで、意識的に表情をつくる場所がひとつだけある。職場だ。今の職場になってから人と関わるしごとになったので、これまでにないほど表情づくりをして過ごしている。とくに感じよくすることが多いので、不気味なほどニコニコしている。しかし、当然それでまかり通らないときもある。状況ごとに反応を変えなければいけなくて、これがむずかしい。これまで表情の調整をしてこなかったので、固い内容を話すときにも顔が笑ってしまっているときがある。これは仕事の質に差し障るので修正を迫られているのだが、いかんせんこれまでやっていなかったのでなかなかうまくいかない。

気づいたのは今月に入ってからで、表情筋の疲れがしごとのある日とない日で違うような感じがするのだ。湯船に浸かって顔をもんでいると(別に健康法でもなんでもない、むかしからのくせだ)、あきらかにしごとのある日のほうがもみ甲斐がある。それだけ意識的に表情筋を動かしている。こんなことは今までなかった。人工的に栽培された表情が花開くのが職場なのだ。

コミュニケーションがしごと、といった部分があるのでこれをやめるわけにはいかないのだが、もうちょっと疲れないようなやり方がないかと片隅で思う。とはいえ日常的に表情をつくるとかえって疲れてしまいそうだし、転職して表情をつくらなくていいものを始めるのも気がすすまない。しごとの内容はすきなのだ。どうするのがいちばんよいのかわからずにいる。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。今日はアトリエに行く日なので顔はやわらかい日。

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