ちょっと行ったところの団地に整体師がいる。整体も病院と同様、ちょっとよくなると行かなくなってしまう場所の代名詞である。今回こそは最後にしようと心を決め、幾度目かわからない「治療開始」だ。
団地特有の重々しい金属扉をあける。予約患者はインターホン不要らしい。人間不信の加速する現代社会で、これはなかなか勇気がある。ただものではない。玄関はT字になっていて、左が生活スペース、右が施術室のようだ。
誰もいない。声をかけると、左から団塊の世代らしきおじさんが現れた。朝、公園で太極拳を教えていそうないでたちだ。やろうと思えば、水の上も歩けそうである。聞くと気功を心得ているらしい。といいつつ、気功のちからは万人にあるという。こういった不思議なちからをもったいぶらないのはちょっと好感がもてる。実にここもただの整体だ。気功屋さんではない。
施術室はデスクにプリンター、棚、椅子と、ふつうの居室と変わらない。どこにでもありそうな椅子で首肩を、壁に立てかけたヨガマットに寝そべって腰をやってもらう。網戸がしてあったが、じっとりとした日だったので風はない。「整体です」と気取っていない感じが気に入った。
窓の向こうにはべつの棟が見える。同じ形をした建物が延々とそびえる光景は、まるでコンクリートの森だ。つやつやとした焦げ茶の棚には、Wordでベタ打ちしただけの料金体系が少し傾いで貼ってある。中には本がぎっしり詰まっていたが、人体にかんする本は見当たらない。かわりに英和、和英、英英と、辞書が並んでいた。語学をたしなんでいる方なのだろうか。その日は予約時間を大幅に遅れて到着したのでこちらから会話をするのもなんだか申し訳なく、きちんと間に合ったときにしてみようと思った。そういえば、施術中に雑談をふってこないのが心地よかった。気疲れしない。こういうところでの会話は、できればしたくない。
肩が終われば次は腰だ。寝そべる。窓からさしこむ光のせいか、第二関節のうぶげがまばゆく光る。第二関節のうぶげなど、ふだんは気にもとめない。細くかよわく生え揃う姿を見て、たんぽぽの綿毛を思い出す。いつからか、見つけても綿毛を吹かなくなった。あんなにおもしろがっていたのに。ねむくなってきて目を閉じると、時計の音が気になった。チク、カチ、チク、カチ。秒針がずれている。狭い部屋に時計がふたつ。なぜなのか。
あれこれ考えている間に時間がきてしまった。次の予約をして帰る。こんどは間に合うようにいきますと言って部屋を出た。どうして人はいきおいで、できない約束をしてしまうのか。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。これの更新を朝から夜に移そうかなとかんがえています。
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