◆夏の終わる日

私事だが、じつは今日まで夏休みである。前々からこの休みは旅行をしないで、ふだんどおりに過ごすつもりでいた。このあと旅がひかえているし、一度くらいはそういう過ごし方をしてもいい気がしたのだ。
きのうは大学の先輩と久しぶりに会い、近況を話した。おたがい続けていることが、少しずつ育ってきているような感じだった。わたしは精神障害者の居場所のありかたに関心があり、精神疾患と共に生きる方々と日常の大半を過ごしている。今年はアトリエにおける交流が深まってきたのに加え、別口で新たなコミュニティを紹介してもらい、今度行ってみることとなった。いろいろな場を実際に体験して、考えたり感じたりしたことをちゃんとまとめあげられたら、と思っている。文章を書く練習をしているのはたんじゅんに書くことがすきだというのが地盤にあるが、小説やいつか書きたい文章のための、準備の側面もある。
上のようなことを話すと先輩は「なにか書いて出してみたらいいんじゃないかな。」と言った。自分の書いたものをどこかに出すというのは、そういったことが未経験のわたしにはたいへん敷居が高い。先輩いわく、ある学会では支援者や当事者によるエッセイを募集しているという。以前非研究者でも発表できる学会において、アトリエのことを話してみてはと提案してくれたのも先輩だった。人前で話すことを想像すると緊張感が尋常でなかったので、結局応募は見送ってしまったのだけれど……。先輩は研究畑の人なので、わたしのやりたいことを研究的な側面でよく理解してくださり、適切なアイデアをくれる。そういった人の存在は、ありがたいものだ。そしてどれも尻込みしてしまっていることに、申し訳なさもある。
思えば先輩にかぎらずいろいろなひとが、人生を組み立てるパーツをくれる。自分だけでは気が付かないことや知らないこと、興味のありそうなことを、やりとりのなかで手渡してくれる。使うか使わないかはわたし次第だけれど、お互いに選んでおつきあいをしているからか、だいたい間違いがない。素直に組み立てていくと、うまくいく。今年はとくべつ何かが実を結んだわけではないのだけれど、いろいろなことがいい雰囲気のなかで流れている気がする。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。半生をふりかえる夏の終わりでした。まだまだそういうところには至りませんけれど「思えば遠くまできたものだ」なんて、かっこいいよね。

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