◆感想『九条の大罪』第59審「愚者の偶像」⑩

今週のお話

壬生が、京極によばれている。場所は以前からかわらずラブホだろうか。空っぽの浴槽に入ったまま京極は、この後、小山と打ち合わせがあると話す。京極は、壬生が後輩と菅原から3億強請られていること、払えば最後、一生搾り取られるということを伝え、自分が間に入って解決してやろうかと恩を売ろうとする。なぜ知っているのかといえば、自分は地獄耳だからと。壬生は京極が間に入れば最後、自身が搾り取られてしまうことをわかっているので、やんわりと断っている。

場面は九条の事務所にうつり、数馬が壬生の紹介できたという。内容としては、どうやら投資詐欺にあったようだ。それまでの経緯を、数馬が語り始める。事業が成功して大きくなると、気が大きくなってしまう。「パチンコで勝ったら安キャバで散財したくなるじゃないですか」と、例に漏れず、おそらく自身が育ってきたであろう環境の話をもちだしている。金を稼いだとしても、数馬の根本は変わっていないのだ。ただ、そうであっても数馬には、金目当てで寄ってくる連中も増えてきたと。そういった人々のことを数馬は「自分で努力しないで文句ばかり吐いて人から奪うことしか考えていない詐欺師連中です」と。しかし一方で、「起業家は常に孤独」であると、数馬は思っている。稼げていても、仕事において承認欲求を満たせていないと、お金を散財して代用品で心を満たそうとしてしまうという。寂しさと金銭的負担はトレードオフの関係になっているのだと。九条は黙ったまま話を聞いている。数馬は自身の起業家としての日々を「いつも何か足らない日々」と喩え、満たされるためにラウンジやギャラ飲みに参加しているうちに、詐欺師が寄ってきたという。身なりのいいギラギラした感じの男性、どうやら投資会社の代表取締役のようだが……が、年利300%という投資を持ちかける。あやしみつつも、どうして自分にその話を?と数馬は問いかける。すると、智慧光院は「数馬さん、あなたは特別な人間です。」と、数馬の求めていた言葉を返す。投資を決めた数馬だが、最初は毎月100万ふりこまれていたという。3ヶ月後に全財産と借金を足し、4000万を投資したところ、連絡がつかなくなってしまい、詐欺だと気づいたという。

返金はあまり望めないが、いつもの九条のスタンスで、一応やれるだけのことはやろうと、案件を受けてくれる。

千歌の自宅のそばでスト缶らしきものを飲みながら待っていた数馬は、「千歌さん」と言いつつ、朝帰りの千歌に暴言を吐き、タクシー代だと金を投げ捨てる。千歌は「そういうお金の使い方をする人は3年で消えるよ」と、今までみてきた人々を思い返してか、忠告する。しかし「タク代乞食」と千歌を称し、小山を部屋に連れ込んでいること、自分に何かを指摘したかったら自分より稼いでからにしろということ、自分以下の人間の意見は無価値、と、まとまりなく自暴自棄になる数馬。そこに仲裁をするのは菅原と犬飼、また、数馬の知らない千歌の一面が垣間見えるのであったー。

感想

ついに九条と今回の話がつながった。数馬の詐欺である。これがうまく運んで返金につながる展開は、九条が「まぁあまり期待なさらぬように」と言っていたように、薄いだろうな……。さて、順を追ってみていこう。

京極は勢いのある若頭ということで、情報も集まってくるのだろう。壬生は窮地だ。壬生は、頼らない方向でやっていくつもりのようだが、京極もばかではないので、じわじわ追い詰めていくつもりなのだろう。

そのあとは、数馬の独壇場ではないが、これまでの話よりも多く、数馬の人間観が出ているエピソードだった。パチンコと安キャバは以前でてきたような、テレビに文句を言うだけの人同様、過去の父のような卑近なところから引っ張っているのかなーという感じがあった。

印象的だったのは「起業家は孤独だ」という一節である。稼げていても、仕事において承認欲求を満たせていないと、お金を散財して代用品で心を満たそうとしてしまう。寂しさと金銭的負担はトレードオフの関係になっているのだと。九条は黙ったまま話を聞いている。数馬は自身の起業家としての日々を「いつも何か足らない日々」と喩える。

この、仕事と承認欲求という話は、最近読んだ山口周『ビジネスの未来』に少し考えさせられるとことがあり、話の流れとしては、

これまでと異なり、生命を脅かすような物の不足は、めざましい経済成長によってほとんどなくなった
→経済成長率も先進国を筆頭に低迷している。
→これまでの成長ありきの資本主義経済は格差社会に拍車をかける
→そうではなく、新しい働き方を考えていく必要がある。

ざっくりとこのような感じだ。そこから、ベーシックインカムの導入の話や、今後は自分の真にやりたいことを見つけ、夢中になれる仕事をしていこう、というような運びになっていく。やりたいことを仕事にしていくというのは、今の社会でよく言われる「金のために働く」という、アーレントで言うところの「労働」からの脱却である。今の社会の仕組みからすると「やりたいこと」で働いている人は決して多くないが、そうしていける社会を構築するために個人個人が変わっていくことで、少しずつ現在の資本主義をハックしていこう、という話にsでおわる。本来はいろいろと細かく話があるのだが、関連する箇所はそのあたりなので割愛する。

数馬は、言うまでもなく「これまでの成長社会」を基盤に生きている人間である。現代社会の仕組みがそうなっているし、本書のような気づきに至るような描写も当然ないので、数馬は千歌に認められるための「労働」をしている。しかし、自身のやりたいことではないうえに千歌に認められるわけでもない。当然、承認欲求が満たされるはずもない。ただ、今の数馬は、以前壬生が言っていたように、容易に力を誇示することのできる「金」を稼いでいる。わかりやすい連中は数馬を囲い、餌にする。その結果が本話である。

その後で千歌に暴言を吐くのも、自身が千歌に認められるべく積み上げてきたものが全て崩れ落ちてしまったからである。吐き方についても、道端で飲酒をして喚き散らしているという、なりふり構わぬ様子である。一方の千歌は知る由もないので、普段のトーンであしらっている。結局、数馬は千歌がそういった稼ぎでやっていっていることを受け入れられないまま、ここまできてしまった、というところで、そこがサブタイトルの「愚者の偶像」にあたるのかな〜というところで、次回を楽しみに待とう。

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