今回のお話
嵐山からの電話に出た九条は、植田が自殺した物件が壬生の買い取ったヤクザ物件であることを問いただす。九条は法的な正当性を主張し、競売物件はヤクザでも入札ができると正論で返す。しかし嵐山は納得いかないようで、一般市民を自殺に追い込み、ヤクザの片棒を担いでいると指摘、九条の身の置き所を気をつけるよう牽制する。電話が切れ、九条はばつの悪そうな顔をする。
ところ変わって嵐山サイドに。嵐山は後輩に、裁判所の執行部に行くと不動産業者にまじってヤクザが物件ファイルを閲覧していて、もっと規制をかけて資金源を潰し、撲滅していかなければならないと己の信条を語る。後輩は「弁護士の先生方はヤクザにも人権があるって考えなのでしょう。」と返す。すると嵐山はヤクザに人権はもうないという。半グレも同様だと。それに対し後輩は、嵐山が壬生を検挙したいのですねと寄り添う。しかし、嵐山の本当の狙いは小間使いの壬生ではなく、伏見組の若頭である、京極清志なのだ。
歯形のレントゲンが写る場面に切り替わり、ルイヴィトンとおぼしきスマホケースにつつまれた電話が着信をうけている。豪奢な指輪や時計、そして刺青の入った手がのびる。電話の主はうわさの京極、電話の相手は壬生だ。それにしても、靴もスタッズが激しくあしらわれており、ベルトも高そうである。刺青は何の模様かよくわからないが、竹のようにみえる。壬生は、何かの終了報告を京極に入れる。ホワイトニング中だという京極は、歯に色のつかないもの限定で食事に誘う。にしても、歯科のベッドに寝そべったまま着信を取る光景というのは、ちょっと異常なかんじもする。電話の後、壬生は何かを思っているようなようすだ。
さらに場面は切り替わり、九条・烏丸・薬師前が高架下の通路で落ち合って歩き出す。自殺した植田の家族に連絡がとれたかどうか、九条は尋ねる。薬師前は息子と連絡がとれたというが、親子の縁を切っているので遺骨と位牌は処分してほしいと言われたことを伝える。遺骨と位牌は廃棄物として捨てられないため、保管期間を経過しても処分ができず、九条は困ったとぼやく。そんな九条の態度をみて薬師前は、植田とちゃんと向き合っていれば自殺に追い込まなくてもよかったのではないかと尋ねる。明け渡しを強制的に行われ、閉め出された上に借金地獄では、死ねと言われるのと変わらないのではないかと、薬師前は語る。それに対して九条は、依頼者からすれば半年以上家賃を滞納していれば強制執行は当然であり、裁判にも欠席をしている。こちらとしても手を尽くしたと話し、最後に「自殺は本人の問題です。」と言い放ち、それを聞いた薬師前は軽蔑するようなまなざしで、「本当に冷たい人ですね。」と返す。烏丸も何か思うところがあるのか「自殺は本人の問題か。」と呟く。そして九条は、殺人を裁くのは裁判官。自殺を裁くのは閻魔大王。仕事にはそれぞれに役回りがあるんじゃないかと話すのだった。
その後、ふたたび植田の住んでいた家屋前に、壬生と烏丸が訪れる。烏丸は約束したパフェを食べることで呼ばれたようで、再びこの家に来た理由は知らされていないようだ。壬生は、明日家を取り壊すので遺骨と位牌を届けようと思っていて、「烏丸先生がいると安心感ハンパないんで」と付け加えるように言う。喪服に身を包んだ烏丸は、親友の一周忌であったことを伝え、壬生に、植田がどんな人だったのかを尋ねる。
壬生の知るところによると、酒癖が悪く、ホステスに罵声を吐いて暴れて警察沙汰となり、行きつけのスナックを出禁になったという。払えないほどのツケがたまっている中、さらにギャンブルや酒の借金で生活が荒んでいき、妻が亡くなったことにより口と素行の悪さが加速していった。水道が止まり、公園の水を汲んでいる植田の姿がある。電気が止められたとき「人生が終わった」という。寝る時もテレビがついたままで、タレントに文句を言っているうちは生きる気力があったようである。暗い部屋に底知れぬ恐ろしさを感じ、絶叫しても誰も助けにこないことの絶望感があったようだ。孤独な植田にとっては、テレビのどうでもいい笑い声すら必要なものだったのだ。家はゴミが溜まってどんどん荒れていく。そんな中、「自殺の心境❶」で出てきた最初の植田のシーンに戻る。そこで何者かが「最後に何食った?」と尋ねる。それに対して植田は「関係ねーだろ。」と悪態をつく。相手は「そうだな。後のことは任せろ。準備はいいか?」と声をかける。植田は何かを決意したような表情である。最後、首にリードをつけた状態で階段に立ち「うるせぇな。黙って死なせろよ。」と返す。決意した植田の隣には壬生が腕を組んで立っているのであった……。
感想
場面の切り替えは多かったものの、有馬の一周忌の日とおなじ日のできごとである。最初から見ていこう。
最初の嵐山との電話のシーンは、京極を出すために必要だったのだろう。今のところ、京極を引き出すことができるのは壬生か、警察陣営である。
さて、嵐山のいう「ヤクザに人権なんてもうねーよ。」というのは、1992年に施行された「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(通常、暴対法)」に基づいていることがうかがえる。詳しい解説は専門家に委ねるが、この法律ができたことによって暴力団に所属している者への風当たりが一気に強くなったのである。ここで注目したいのは、九条が法的正当性を理由にヤクザが競売に参加できるというのと同様に、嵐山も、意識してか否かはしれないが、法律に則った上で自身の信条をのべているということだ。警察とヤクザの関係性は、今でこそ緊張感の漂うものとなっているが、昭和の時代はもう少しおおらかであったというのを、裏社会に関する書籍や語りから垣間見ることができる。以前、屋上でBBQをしている九条らを監視していた際、組事務所でお茶を飲んで情報を集めていた時代が懐かしいと嵐山は話している。嵐山は正義感も強く、一般的に悪とされるヤクザの撲滅に邁進しているが、そんな嵐山とて法に則った正当なルートで攻めていく他ないのである。それでも、法のスペシャリストたる九条をマークし、ヤクザの尻尾を掴もうとするのだから見事なものである。そう考えると、序盤の電話でのやりとりで、九条の身の置き場についての忠告じみたものをしているが、これはどちらかというと九条に対する牽制のようなもので、心理的な揺さぶりをかけて情報を引き出す意図の方が強いようにみえた。
その後、壬生の兄貴分(なのかな?)である伏見組の若頭・京極が初登場だ。ホワイトニング中と、ものすごい状況で電話対応するあたり、只者じゃなさそうである。「伏見組」という名は「弱者の一分」編の最後で、金本が扱っていた薬物の元締め組織の幹部が逮捕されたというくだりで登場した。競売への入札を指示したのも自殺教唆をしたのも、京極ベースなのだろうか?薬物による資金調達ルートが潰えてしまった今、不動産の方に力が入っていてもふしぎではない。
さて、京極も京都の地名だが、京都市の北西と少しはずれた場所にある。ヤクザの名前として採用しているので、どちらかというと京都市中京区の三条通と四条通の間にある「新京極」の方がイメージとしては合うのかな、と思う。新京極は京都市内にある最も古くからある商店街の名称で、それこそ観光をする人から地元の人まで、わいわい賑わっているようなところだ。電話のあとの壬生の考え込むシーンも気になるが、今のところはまだ情報が少なすぎる。京極については今後のエピソードで掘り下げて行くと思われるので、今回はこれくらいにしよう。雰囲気としてはウシジマくんの鷺咲を、もうちょっとリッチにしたような感じである。余談だが、壬生はハブっぽい。
次に、薬師前との会話シーン。薬師前は、烏丸と同じく、世間の声や考えを代弁するキャラクターとして置かれている。ただそこに福祉専門職という要素が加わることで、異なるエキスパートとして九条と対峙することができる。烏丸はイソ弁ということもあり、まだ九条に対抗するだけのロジックや考え方が確固たるものとして身に付いていない段階なので、今のところ九条サイドでフラットにやりとりできるのは薬師前だけだ。仮に九条ベースで話が進んでいくと、法と道徳を分断して考え、依頼者にとって最もベターな落とし所を探すという手法について、一般の読者はなじみが薄く、ついていけなくなる可能性がある。そのため、烏丸が読者の考え方や疑問を素朴に提示したり、薬師前が九条のやり方について抵抗を示したりする。それに対する応答として、九条のあつかう案件の経過が描かれていく。まだ4つめのエピソードだが、『九条の大罪』は、こういった構造で物語が展開していく。法や制度など、専門的なものを扱うことの多い作品なので、いわゆる常識的な視点や世間の思考などが反映されているのは親しみやすさが増す。
さて、物語の構造的な部分はこれくらいにして、内容に触れよう。薬師前は、結果として九条が植田を自殺に追い込んだことが気になっているようだ。しかし九条は「こちらも手を尽くした」「自殺は本人の問題だ」という。それに対し薬師前は不服そうな返答をし、烏丸もちょっと気になっている感じを出すわけだが、九条は自殺については自身の専門外だという考えをもっている。閻魔大王が自殺を裁くかどうかはさておいて、ここで九条が言いたいのは、「弁護士の扱うところではない」ということである。そのため「自殺は本人の問題」なのだ。死んでしまったら調書もとれず、弁護士は動くことができない。ソーシャルワーカーをしている薬師前からすると、考えられないほど冷徹なことばのように思えるが、それも専門の違いといったところが大きく関係しているように思える。また、薬師前は九条の言葉の真意を読み切れていない部分があり、以前の曽我部についても九条から「彼はあなたが思ってるより道理を理解してる。」と言われ、実際、曽我部は道理を理解した上で行動に移ったわけである。そういった意味では薬師前の言葉の捉え方はやや倫理主体なきらいがあって(まぁ、福祉職なのでそうなるのも自然である)、九条の立場については理解を示そうとしないのが現状である。そういった立場の交わらなさというのも、複数の職種をまたいで支援をする日々を送る身からするとリアリティがある。
最後の壬生と烏丸のシーンは、❶のエピソードの補強部分、すなわち見えなかった部分のヴェールを外していく中途で終わる。「自殺は本人の問題」という九条のことばを受けてか、烏丸は植田の人となりを尋ねる。素行の悪いおやじだったようだ。そうなる前の描写がないのでどうしてそうなったのか、元々そういう人だったのかはわからないが、自身で自身を抑え切れずに孤独になり、絶望的状況に陥ったことがうかがえる。目をひくのは電気を止められ、「テレビタレントに文句言ってるうちは生きる気力があった。」「テレビのどうでもいい笑い声が必要だった。」というくだりである。人との接点を失い孤独の淵にいると、そういった気持ちになるものかと興味深くなるとともに、とくに用がなくてもSNSをひらき、見知らぬアカウントに自分のお気持ちことクソリプを衝動的に投げかけるひとびとと重なるような気がした。つながりやすい環境の中でつながりを失うことの大きさというのも、触れたいところではあるのだが時間切れだ。またの機会に。そうして自殺の直前には壬生がいた。やはり植田の自殺には何かが噛んでいるのである。
読んでくださり、ありがとうございます。書く時間の確保をもう少ししたいところです。
コメント
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