◆スマートフォンのいのち

ポケモンGOをやりはじめてもうすぐ2ヶ月になる。アプリの消費電力が多いからか、電池の減りが早い。電池残量80%近くを残す日はほとんどなくなり、よくて70、ひどいときはひとけた台を拝むことができてしまう。

そのおかげで知ったこともあって、Xperiaは電池残量が少なくなると消費電力を抑えるモード(STAMINAモード)がある、ということだった。これをONにすると全体のパフォーマンスは下がるかわりに、電池の消費が緩慢になるという。じっさいやってみると、たしかに説明のとおりであった。ポケモンGOは思った方向にボールが飛ばないし、Chromeの読み込みもなかなかの遅さである。

やがて、そこそこのスペックの機種を持っているにもかかわらず、電池のためにパフォーマンスを抑えるというのはいかがなものだろうと感じはじめた。さらに10%を切ってからのスマートフォンの息絶えそうな様子にも心惹かれた。ブラウザ、マップ、電話、メール等をひとりでこなす心強いデバイスが、電池消費によって萎縮している様子は、わたしの内にあるなにかを強く刺激する。夏に書いたせみの話を見返しても、いきものが死ぬとか死にそうとかいうのは、どうもわたしの気を引いてしまうらしい。

せみとちがって、スマートフォンの生死がわたしの使い方に左右されるというのもよい。どんなにいろいろなことができても、人間ありきで機能する道具にすぎない。「既読スルー」や「インスタ映え」や「スマホ疲れ」に振り回されず、毅然とした態度で使いこなさねばならぬと思う。同時に自分の中にある小さな支配欲というのか、そういう意地悪いこころがむくむくと芽生える。電源に差してやれば息を吹き返すし、むりくり使えばそのまま電源がおちる。自分で操作しているにもかかわらず、徐々に削られていく数字とのろまになっていく動作を見るとどきどきしてくる。この子の命はわたしが握っている。いずれにしたって最終的に充電するのだけれど、なぜか日ごとに迷ってしまう。ああ、今日はどちらにしよう……。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。書き始めたら想定していたよりも気持ち悪い記事になってしまいました。

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