◆手に浮かぶ廃墟

色あせた白のワイシャツを黒に染めようと思い立つ。春の呼び声がするなか、なぜ季節外れの黒にしてしまうのかという疑問はさておき、わたしは説明書を読まないおんなである。今回も例にもれず、ざっと見て作業をしていた。

染料を湯で混ぜていて気づく。指の傷がしみる。化学薬品の刺激が、わたしの傷をえぐっているのだろう。へんな話だがこういう痛さは嫌いではないので、そのままばけつをかき混ぜた。溶け切った湯の中にワイシャツを入れようと手を出したとたん、年甲斐もなくさけんだ。手が真っ黒なのだ。

説明書をごみぶくろから漁ると「ゴム手袋をかならず着用してください」とある、なるほど。とうぜん服の染料なので、手洗い程度では落ちない。起きてしまったことはしかたないので、そのまま過ごした。

翌日、だいぶ染料は落ちた。湯のなかでゆらめく五指は今や、ほんの少し黒い部分を残すのみだ。 なんだ、案外たいしたことはないではないか。うれしい反面、 あっという間に非日常が終わってしまった気がして、少しさびしくなった。

じっと見つめているうちに、しわの間に残った染料が立体的にみえてきた。あたまの中にさびれたビル街が浮かぶ。かつて栄えた街。何らかの事由によって、人はすっかり去ってしまった。繁栄の象徴であった高層ビルが、ぽつんと残された光景。道路もひび割れてからっぽだ。人々はどこへ行ったのか。いったい何が起きたのか。これはこの(※自分の空想上の)星の、どのあたりにある街なのだろう……想像を巡らせる。愉しい。明日、街は無に還ってしまうだろう。今しか見られない廃墟に立ち会えたよろこびが、わたしのこころを包んだ。

ちなみに……出勤日だったので、会う人会う人に「その手、どうしたんですか。」と聞かれたのは言うまでもない。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。本文であげたこたえが出れば、いつか出したい街です。お湯の中だとコントラストがはっきりするので、よりそれっぽく見えるのですが、こういうかんじでした。

コメント

  1. […] そのあと先生に「手に浮かぶ廃墟」のことを話した。じぶんの手に廃墟を見いだせたのは、アトリエで聞いた話が影響している気がしてならない。アトリエの隅に、先生が道端で拾って […]

  2. […] 朝の日差しのうしろで撮ったので、ほんとうのものより少し黄みがかっている。牢獄の中でことばを食べる人をつくっている。牢獄は前回も書いたように、手に浮き上がった廃墟の街の模様が刻んである。 […]

  3. […] 前作(未完)の「ことばを食べる」は「現代社会にばらまかれている甘言に踊らされる人を風刺する」というぼんやりとしたテーマがあり、その付近で指の上に廃墟が浮かび上がった経験も手伝って、廃墟の埋め込まれた牢獄で差し出された甘言を食べ続ける罪人を表現した。 […]

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