およそ月に1回のペースで、小説を公開している。いまは、失踪した神をさがして砂漠を歩き続ける妖精と、砂漠に住まうひとびとの話を書いている。ここから飛べます(宣伝)。

この話もふくめて、わたしのつくる小説は同じ星のなかで起こっている。今まで書いてきた話たちも、すべてがつながっている。それぞれに歴史があって、ひとの因果がある。そしてこの創作世界は、わたしにとって現実と同じくらいの重みをもって存在している。ふだん何気なくしごとをしていても、創作世界の中のひとたちがしゃべりはじめればその世界に没入してしまう。彼らの切実さはわたしの切実さでもあるし、現実世界のもつ切実さでもあるような錯覚すら起こることがある。彼らの行動がどのように歴史に爪痕を残して進んでいくのか、見守らずにはいられない。あまり頻繁にトリップしてしまうと現実に支障をきたすので控えなければ……と思いつつ、一度声がしたり景色が見えたりするとそちらにいかずにはいられない。

いざ「視たもの」を文字に起こそうとすると、気がすむところまでブレーキをかけられないので、はじめるときは現実でやり残したことがないかを確認する。RPGでたとえるならば、ラスボス前さいごのセーブポイントのようなものだ。装備は十全かどうか、回復アイテムは不足していないか、未消化のイベントはないかどうか……現実でいえば、掃除は済んでいるか、夕飯の食材はちゃんとあるか、明日の支度はできているか……といったところだろうか。そこに時間を取られてなかなか書き始められないことも多い。ぐっと入り込んだところに宅配便が来てしまうと、インターホンの音がわたしを現実に引き戻してしまい、後味が悪い。むろん時間指定するのは現実のわたしなので、宅配員のひとはなにも悪くなく「気をつけなさいよ」という話なのだが……。

おまけにここ最近は、新しく出た睡眠薬のせいか一日中ひじょうにねむい。この現実と非現実の間をさまよう浮遊感が、創作世界との境界をさらにあいまいにしている気がしてならない。今連載している作品のなかで「砂漠の風の中に神の声が聞こえてくる」シーンがあるのだが、ふらつく脳内に響く音が果たして現実なのか創作世界のものなのか、よくわからないときがある。連休があけるときにぴしっとできるといいのだけれど、今のところ、あまりよい展望はみえない。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。「どう書くか」ということが非情にむずかしいです。エッセイ等他の文章もそうですが、おおきな課題です。それにしてもねむい。