◆表現について

展示を終え、皆の作品をトラックに積み込みながら思う。

わたしの表現とは一体、なんなのだろう……。

たんなる表現ならいっぱいやっている。エッセイを書き、小説を書き、絵を描き、動画をつくる。ただ、今それらはてんでばらばら、思い思いの方向で輝くだけだ。ばらばらでは、そのうちどこかへ散ってしまう。燃え尽きてしまう。それでは意味がない。今のわたしは「つくっているだけ」だ。

自分の表現をきちんとつないで、ひとつの星座にしていかないとならない。 戦隊物のロボットのようにかっこよくパーツを合体させて「ドーン!」と登場できれば最高だ。星をつなぐことができれば、わたしの表現に一貫した「なにか」を浮き上がってくる……気がする。

そのためにはもっと想像力が必要だ。拙作「点と点をつなぐ」でも書いたが、なかばゴリ押しともいえる関係妄想を繰り広げるちからがとっても大事になってくる。

これを養うためには大きくふたつ。まずはものごとを奥までつきつめる、要は知ろうとすることだ。ゲームひとつ取ってみても、ポケモンがMOTHERを、MOTHERがドラクエをめざしてオリジナリティあふれる作品を開発していたのを知っていると楽しみ方に奥行きがでる。このシーン・システムはここから来ているのだろうと、歴史がつながる。近年だと日本のRPGずきのToby Fox氏が制作した「Undertale」は、これまで出てきたゲームを遊んでいればいるほど、そういう楽しみ方ができる。知識の蓄積にとどまらず「やりこむ」というのも大切かもしれない。一回きりでわかることは少ない。本も絵も文章もおなじだ。そういえば、自分の過去作品をセルフコーチングすることもちょっと前に書いた。少しずつ、つながってくるかもしれない……。必要なのは、こういう妄想力だ。

もうひとつは他人とかかわること。はからずして、自分が持ちえない視点や刺激が降ってくることがある。これは何も表現をつきつめる同志でなくともよい。案外、そういったことに興味のないひとのことばが奥まで突き刺さることもある。とにかく引きこもりすぎない。でも、疲れない程度に。ちかごろはなんだかいろいろな人に会いすぎて、疲れた。ちょっとしっぱい。

積み込みが終わった。星の饗宴は終わり、創造主の手元に還っていく。これからも一進一退をくりかえしながら、自分の表現と向き合っていこう。いつか星座をみつけられるように。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。「展示を終えて……」シリーズ(今命名)はこれでおしまいになります。明日からまた、しょうもない話にもどります。

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