診察券がきらいだ。今日はただただそのもんくを書くので、診察券がだいすきなひとは読まないことをおすすめする。

そもそも、診察券というものは、つくるかつくらないかを選ぶ権利すら与えられていない。患者になってしまえば最後、有無を言わさず渡される。そこで医療の傲慢さを垣間見ているような気になる。釈然としない。

つぎに、診察券が何のためにあるのかを考える。私見では、事務方の検索の手間を省くために診察券は存在していて、わたしたち患者のためではない。診察券を見て住所を調べたり電話をかける人にとっては必要なものかもしれないが、Google電話帳に住所を入力し「n(患者番号)○○医院」と登録しているわたしのような人間には全く必要ない。こんどは、事務方の都合を想像してみる。患者はカルテによって番号となり、紙だかデータだか知らないが管理されている。その番号こそ診察券番号であり、事務方のほしい情報である。医療系ソフトの仕組み上、誕生日や名前で検索することもできるのだろうが、診察券番号は誕生日や名前とちがい、他人とかぶることがない唯一無二の情報である。

さいごに、診察券がなくても上のように「n(患者番号)○○医院」と 電話帳に登録しておけば、持っていかなくてもお互い困らない。「診察券忘れました」と言って保険証を出し、診察券番号を申し出ればなんとかなってしまう。「次は持ってきます」と言いつつ、次の外来は早くても1ヶ月後、遅ければ1年以上先である。心から「次」を期待して次回外来時に応対する事務員など、多忙な業務と溢れる患者の存在を考えればほとんどありえないといってよい。その証拠に「次は診察券持ってきてくださいね」と言う事務員はわたしの通っている病院に存在しない。番号さえわかれば券そのものがなくてもよい、何よりの証拠である。

そういうことなので、診察券はすべて電話帳に登録して、捨てている。どうせ1ヶ月に1度使うか使わないかわからない小型の紙など、そのうちどこにしまったか忘れるか失くしてしまうのだし、お互いが困っていないのならばモノとしてある必要はまったくない。

診察券に関する持論は以上である。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。あしたは外来ですが、なしで乗り切ります。