今、通勤と余暇を兼ねるリュックと、アトリエ用のかばんのふたつを持っている。これは、あまり気がすすまないまま続けてしまっていることのひとつだ。

小学生のとき、きちんと時間割を見てランドセルの中身をそろえているにもかかわらず、忘れものをする子どもだった。忘れるだけならいいものの、その日いらないはずの教科書が入っていることもあった。教科書だけではない。入れっぱなしのはずの家の鍵をなくして隣に住んでいるおじいさんの家で待たせてもらったこともあったし、逆に渡しておかないといけないプリントがぐちゃぐちゃになって出てきたこともあった。そんなことだったので、中高ではぜんぶの教科書を学校に置いて過ごしていた。宿題は授業中に問題を数倍進めて済ませていた。大学生になってからは教科書の絶対量がすくなくなった(し、最悪なくてもどうにかなってしまう講義も多かった)ので忘れものが減った。

そして今、かばんがふたつある。もちろん小学生の頃も習い事用のかばんはあったけれど、今と違うのはお互いのかばんの中身を融通しなくていいことだ。ピアノなら月謝袋と楽譜が入っていればいいし、少林寺拳法なら道着が入っていればいい。

しかしアトリエは違う。化粧ポーチやティッシュやイヤホンや手帳を、いつものリュックから移す作業が必要になる。もう通いはじめて二年経つので言ってしまおう。わたしはアトリエに行くと絶対になにかを忘れている。先週はイヤホンも化粧ポーチもティッシュも忘れたし、その前は手帳だけ忘れた。

近頃はこれが脳内会議の主題になっていたのだが、ついに絵筆の入ったケースをどこかで失くし、心がきまった。リュックに統一しよう。そもそもかばんを分けていたのは、水彩の道具である水入れがリュックに入らないという理由だった。版画に取り掛からんとしてる今、水彩はしばらくやらさなさそうだ。かばんから水彩の道具を取り出し、クローゼットにしまった。かばんの中をあらため、スケッチブックをリビングに置く。さすがに、アトリエに行くのにスケッチブックを忘れるということはないだろう。もし万にひとつ忘れてしまうことがあれば、もうずっとリュックの中に入れておこう。

空になったアトリエのかばんを見ると、底に穴があった。おまえも疲れていたのだな……。今日からはおまえの分までリュックがやるから、気兼ねなく休んでおくれ。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。教科書を忘れても「忘れました」と言えない子どもでしたので、似たような大きさの教科書を開いてごまかしておりました。