◆透明な子ども

台風の無遠慮な風に睡眠をはばまれた翌朝、わたしは思った。「あれだけの風がいろいろなものを飛ばしたわけだし、仕事が休みになるのではないか。」
淡い期待を込めて弊社のホームページを見れば「気をつけて来てください」と一言。現実はきびしい。そういえば都民の日である。しかし弊社は出勤である……。
台風一過の自転車通勤はなかなかたいへんで、とにかくいろいろなものが道路にちらばっていた。左足だけのこどもの靴、幼児用ピアノ、芸術的なまでに潰れた缶と、誰かが道路にコレクションをひっくり返したように思えた。この世界はわれわれの想像を絶するほど大きな子どもの部屋で、道路には遊んだあとのおもちゃがそこかしこにばらまかれているのではないかとすら思えた。たかだか160cm足らずの自分をひどく小さいもののように感じた。
なかでもわたしの気を引いたのはいちょう並木の道であった。風で葉が落ち、道いっぱいに緑のおふとんができていた。それだけならば「なんだか心地よさそうな緑のベッドだな。」と思って終わる。しかし緑のふとんの上には、潰れた銀杏がふとんカバーのごとく重なっていたのだ。緑の葉と黄色い銀杏という、通常ならありえないものたちが一堂に会している。季節感が不明瞭な、この奇妙な光景をたったの一晩で実現させてしまう台風にすっかり感心してしまう。さらに、こちらは書かずともおわかりになるとは思うけれど、並木が終わるまでもうれつな臭さだ。ほんとうにこれはつらかった。なにかの修行かと思うほどであった。
東京の台風はたいがい夜中のうちに過ぎ去ってしまうので、日中に台風の猛威を見ることはほとんどない。大きな台風が過ぎる度におもちゃ箱をひっくり返す子どもの姿を、死ぬまでに一度くらいは見てみたいものである。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。昨日の湿気はどこへやら、今朝はすっかり澄んだ空気で、あらためて秋はいい季節だなぁと感じます。

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