◆ほめことばとは裏腹に

 「しごとがはやい」とよくいわれる。自分では急いでやろうとか、慌てているとかいうことは全くなくて、きらくに取り組んでいる。学生のころから「問題を解くのが速い」「歩くのが速い」と言われていたので、おそらく一定の行動がひとより速いということはまちがいないらしい。

 だが、ほめことばを受けとるたびに複雑なきもちになる。しごとの場面はとくにそうだ。というのも、わたしは時給制で働いているからだ。ふつうに考えて、同じ時間内でたくさんしごとをするほど、時間に対する報酬の価値は下がる。会社がほしいのはコストパフォマンスのいい人材だが、労働者としては(人と比べるのはあまり褒められたことではないけれども)自分より遅い人と変わらない待遇でやる意味がわからなくなってくる。だいぶ前に、あえてゆっくりやろうと試みたことがあったのだが、ゆっくりやることに意識を注ぎすぎてとても疲れてしまったのでやめた。人が決まった時間そこにいなければならない接客やお店や医療機関ならともかく、書類作成や整理の多い職場でなぜ、時給制を採用するのか。身も蓋もないことをいえば、こなした仕事のぶんだけインセンティブがほしくなる、もしくは終わり次第帰っていいしくみになってほしい。スキルによって大きく差のあるプログラム屋さんなどはそういう感じなのだろうか、それとも、日本企業ぜんたいでこういった感じなのだろうか。

 おそらくわたしは今のしごとに関して、時給制という制度がむいていない。人生のどこかでいっぺん、出来高制のしごとをやってみて比べてみるのもいいかもしれない。

 読んでくださり、ありがとうございます。きのうの英語記事を日本語にしてみました。外国語ではまだまだ、ことばから人柄が出ませんね、むずかしい。

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