◆化粧をしたくない話◆

わたしはあんまり化粧をしたくない。「したくない」のであって、別に嫌いではない。というのも、化粧にはあまりにも大きすぎるメリットがあるからだ。

それはすっぴんよりきれいに見えることと、普段の印象を変えられる、もしくは強調できることの2つだ。たぶんこれがなかったら世の中の化粧してる人間の95%以上はやめるんじゃないかな。

そしてそこから、女児向けアニメの少女達が戦うヒロインへとメタモルフォーゼするシーンを連想する。

彼女達は変身前は名も無き少女たちと変わらない日常を送り、丸腰も同然である。しかしひとたび変身すれば自分の10倍は背丈のあるモンスターを撃退するほどの力を手に入れることができる。しかも人助けまでしちゃってる。悪いことがそんなになさそうなのだ(実際のところ、この手のアニメにはヒーローになることによるデメリットにフォーカスする回がないのでそう思っている。まぁ変身のデメリットだけが挙がり続ける回があったらそのあとの視聴率が落ちそうだし、「じゃあ普通の女の子に戻ります!」なんて決断に帰結するのもお話上こまりそうだ)。

化粧をする人々は化粧をすることによって自らを理想の形に作り替えていく。そしてそれによる恩恵を受けている(と思う)。背丈の10倍あるモンスターを倒したりはしないが、背丈の1.2倍くらいある人を射止めることはある(だろう)。しかも、すっぴんの顔にコンプレックスがあれば(たぶん大半の人はあるのだと思うけれど)、好きな印象に切り替えることで自信のなさをカバーすることもできてしまう。人助けができるかはわからん。でもきれいな人は目の保養になるから人助けといえばそうなのかもわからない。

両者とも変身を通してニュートラルな状態では得られない力を手にし、それを行使している、それが連想の要因であろう。

 

ではこの大きなメリットを前にして、わたしはどうして化粧をしたくないと思うのか。

それは片付けがめんどくさいからだ。わたしは片付けがきらいだ。料理だってそれがいやで積極的にやりたくない。部屋だってまめに片付けなくて済むようにものを減らしてしまった。化粧における片付けは化粧を落とすことだ。それがどうしようもなくめんどくさいのだ。化粧自体は違う印象を行き来できてたのしい。しかし化粧してどこかへ行けばその帰りはだいたいつかれている。その上に化粧をおとすことが加わるとげんなりしてしまう。そのくせちょっと神経質なので化粧を落とさないまま寝るということが絶対にできない。そして帰って来たときに思う、「ああ、化粧めんどくさいな」と。

どうしてか行く前には気づかないのだ。用事のために出かける自分を想像すると、どうやらそこにすっぴんの自分はいないらしい。これは、わたしなりの内と外の発想だろうと推測する。別に会う相手は、わたしの顔がすっぴんだろうと化粧をしていようと構わない気はする(実際聞いたことがないので知らないけれども、もし機会があったらそのあたりは知りたい)。ただ「わたし」が、「すっぴんの状態」を切り離したいときに行っているだけなのだと思う。誰に教わるでもなく、「すっぴんの状態」で放たれてはいけないTPOがあるとわたしの脳は認識している。その「切り替えの知恵」というべきものを、何かしらの条件によって認知し、化粧をしているだけな気がする。

ちなみに、化粧を落とすめんどくささの度合いをRPGで例えると、寝る前に興味本位で入った洞窟が死ぬほど広く複雑で、それぞれの行き止まりにはレアアイテムの入った宝箱が配置しており、かつ最奥部で隠しボスとのイベントが終わっても入り口に自動遷移しない時に抱く感情に似ている。

 

メタモルフォーゼするヒーローは、変身を解くのが(アニメの尺でいえば)1,2秒くらいだし(描かれないことすら多い!)、化粧もそうなってほしい。そうなれば楽だし、わたしのような人間でも化粧の頻度が上がると思う。「化粧済マスク」のような、化粧後の顔が薄いマスク上になっていてなぜか装着した人の顔がどんな形であろうとオートフィットして、なぜか蒸れず、なぜか取り外しもきつくない発明ができたらとても画期的だ。もしくはパソコン上でほどこした化粧がそのまま顔に反映される機械やアプリケーションがあったら感動のあまり号泣してしまうだろう。もし本当にそうなったとき、泣いたら化粧は落ちるだろうか、それとも涙がパンダ目すら作らなくなる時代になるだろうか。

 

余談だが、FF5におけるすっぴん最強システムはある種の美学を感じる。全ジョブをマスターして最強のすっぴんになるので何もしなくてよいわけではないのだが、バラエティ豊かなジョブを経験し、その帰結として初期状態のすっぴんを持ってくるというのは他のゲームではなかなか目にしない。FF6の魔石抽出からの魔法習得やFF9のアビリティ習得にもややその痕跡があり、個人的にはシステムを超えた位相で好感を持っている(わたしは9と6がすきで、総合的な評価であるので偶然であるが)。ジョブや装備ではなく、それを会得したキャラクターそのものに強さの価値が置かれている点が好感の要因なのだろうか。

一方でFF7や8はマテリア、ジャンクション前提の世界観になり、どうあがいても超越できない存在(マテリア、召喚獣、8の「まほう」)がキャラクターたちの前に措定されていることになる。それはそれで人間の弱さが克明に現れたシステムでいいんだけれど(実際5,6、9に比べると7,8は主人公が見た目のわりにしょうもない奴だなって気はする。バッツも人のこと言えない?そうかも…)。育成システムっていうのは、もしかしたら世界観の構築に一役買っているのかもしれないなということに気づいたところで了。このあたりも考察するとおもしろそうですね。

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