わたしはツーブロックがすきだ。理由は「かっこいいから」。しかも男女不問である。わたし自身もこの夏からツーブロックにして、だいぶ気に入っている。フォルムのかっこよさはもちろんあるが、何より楽なのだ。
5年ほど通っている美容院で施術していただいていたのだが、ある程度の短さ・形になると「女性らしいフォルムを残してツーブロックを作るのはむずかしい。」と言われた。べつにわたしとしては、自分が女性だろうと男性だろうとかまわないので「気にしないでやっちゃってください。」と言いたいところだが、やはり美容職人たるもの、なかなか「わかりました。やります。」とはいかないらしい。真面目なひとである。
そのことをなんとなしにアトリエで話すと、よく話してくれるメンバーのAさんが「それならBさんが行ってるとこ行ってみなよ。○○○っち(美容師の名前だそうだ)ならやってくれる!」と自信満々に話してくれた。聞いてみると彼女もBさんから美容院を紹介してもらい、たいそう気に入って常連になったそうだ。あれよあれよという間に話は進み、Bさんはわたしのぶんも予約してくださり、場所も教えがてら一緒に行くことになった。Aさんもちょうど髪を切るタイミングだったのだが、ひとりで3人を切るのは無理だと言われたようで(それはそうだ)、彼女だけ別の日取りで行くこととなった。なにせここはグーグルマップに登録がなく、店名でググっても出てこないので、一見さんが独力と辿り着くのが無理な場所である。全体的にインターネット大歓迎という感じではなさそうな気がしたので、とてもすてきな場所なのだけれど写真などはありません、すみません。
東武東上線志木駅で待ち合わせをし、雨の中を歩いた。
「志木駅って新座市にあるの。へんだよね。」
Bさんは言った。埼玉県志木市は実在しているというのに、さしおいて駅は新座市。なやましいロケーションに駅をつくってしまったのだろう。東口の位置もちょっとおかしい気がするし、志木駅はなにかといわくつきなのかもしれない。
住宅街の中にその美容院はあった。入り口には折りたたみ自転車やネイティブアメリカンを連想させる動物のオブジェがところせましと詰められており、とても美容院のビジュアルではない。しかしその「美容院らしからぬ」いでたちに惹かれていた。扉を開けると、中はギターが何台も置かれ、ネイティブアメリカンふうの版画があり、旧型のミシンがあり、週刊誌が無造作に積まれていた。秘密基地のような店内にはしっとりとしたジャズが流れていた。美容師の方は50代くらいの、目がぱっちりとしたおじさんだった。
Bさんは髪を染めるので、わたしは待合に座った。ほぼ壁なしで施術風景がみえる。これもあたらしい。待合もなにか音楽的な棚か引き出しが椅子となり、その上に座布団が敷かれた、狭いけれど心地よい空間だった。ひとつひとつを見ていくとミシンとネイティブアメリカン、ジャズと座布団と、混沌としているが、それが総体となることで一定の秩序がとれているような落ち着きがあった。この場所では各々のオブジェクトたちが自らの意義を解っているような気がした。
Bさんの色がなじむのを待つ間に、わたしの施術をするらしい。なまえを呼ばれ、椅子に座る。前に切ったのはいつかと聞かれ、うろ覚えの記憶を引き渡した。おじさんはわたしの髪をさわりながら「わかりました。」と言った。おそらく今のやりとりだけでいろいろなことを把握された気がした。ただならぬ洞察力をおじさんから感じた。
髪を洗ったあとは下のブロックをつくるためにバリカンで剃り、上をハサミで切っていく。美容師にしてはやや荒っぽい力加減だが、おそらくおじさんは人の髪を切るというよりは、絵筆をしっかりと握り、白いキャンバスに広がる空間を分断しているのだと思った。決して手を抜かないひとのように見えた。その眼差しや手の動き、そして動きと動きの「間」から、おじさんは美容師でありながら根本は芸術家のように思えた。わたしという人間に対峙しつつ、わたしの持つ形や色、雰囲気と沈黙の中で語りあっているように見えた。そういえば、美大に3回落ちたという話を、Aさんが言っていた。
「あなたの頭の形だとツーブロック、すごくよく合います。後頭部にかけてのラインがとてもきれいです。」
「今日は休みですか?」と聞かれないのは初めてだった。そこからはじまる会話が苦手なので、ありがたかった。不慣れな場所は緊張するので、わたしは張り詰めたまま沈黙していた。呼吸も不規則だった。施術しながら、おじさんは前にやってくれた美容師はまじめなひとなのだと思う、と言った。
「髪型には基本の形があるから、それに従って切るまじめさがすごくあるひとのように見えます。」
たしかにそうだな、と思った。すこし奇抜なものになるとお願いしづらかったのは、美容師の方からまじめさを感じ取っていたからかもしれない。
おじさんは続けた。
「ツーブロックはただ作るだけなら簡単だけれど、上にかぶせるレイヤが演出する空間にいかにこだわるかということになると、奥が深いんです。下のブロックが活きるようなラインコネクションをつくると、ぜんぜん見え方が変わります。短い髪型だけど、けっこう長らく髪をいじっているでしょう?どこまでこだわっていくかというのが、大事なんです。」
たしかに、微調整する時間は多いかもしれない。
目の前にある鏡を貼っている土台のことを尋ねた。おそらく木だと思うのだが、ぐにゃぐにゃとふしぎな形をしていた。「それが気になるの?」とおじさんは言った。わたしは肯定し、上で書いた、この空間の混沌と秩序の感じ方を伝えた。うんうんとおじさんは頷き、鏡の土台がひのきの板であることを教えてくれた。もともとは違う土台に貼っていたけれど、この板を見て「これだ!」と感じ、すぐさま取り替えたらしい。
「この板、何かのかたちにみえない?……横からみると、くじらに見えるでしょ。それでこの歯車みたいなやつは、昔のミシンを解体してつけたんだ。」
どうやらこの空間はおじさんが集めた廃材等でつくったオブジェが主らしく、それが秩序の源泉なのかもしれない、と思った。おじさんはそのあと年齢を聞いてきたので、ちょっと考えてから答えた。いまいくつなのか、ときどきわからなくなる。わからなくなってもこまらないものだとも思う。
「けっこうなエネルギーを使って生きてきたんだねえ。」
おじさんは沁み入るように言った。何をもってそう判断したのかわからなかったけれど、おじさんの言うことに嘘や世辞はない気がした。わたしが何も答えないでいると、おじさんは続けた。
「世の中には気がつくひとと気がつかないひとというのがいてね、気がつかないというのはある意味で幸せなことなんです。通り過ぎていってしまえるでしょ。その反面、Bさんなんてすごく気がつくから、疲れちゃってる。」
画集を見ていたBさんにおじさんは声をかけた。Bさんは「そうですねえ。」と笑って答えた。前回アトリエに行ったときに、ともだちが話していたことを思い出した。
「脳のアンテナが高い人はいろいろなことをキャッチするという話を、前ともだちとしました。それと似ている気がしました。」
「そうそう、そういうこと。」
上のブロックを微調整しながら、おじさんは続けた。
「人に疲れてくるとね、人がきらいになるんです。人がすきっていうことはね、まだまだ疲れていないってこと。」
Bさんはおじさんに深く同意していた。彼女は濃密な時間の流れを生きるなかでいろいろなことがあって、さらにいろいろなことに気付いたから、疲れているのだと思う。わたしは彼女たちの半分も生きていないし、人に疲れることはあっても「まぁそういうもんだし、しかたねぇか。」と孫悟空的な流し方をしてしまっているので、おじさんの言わんとすることを深淵まで理解できていないと思った。
気がつくと髪型は完成していた。
「ぼんのくぼで交差するようにつくったよ。そうするとブロックがスーッと自然につながって、きれいにみえる。」
ぼんのくぼ、ということばを知らなかったので尋ねると、頭と首の境目のことらしい。たしかに、完成した形はうつくしい交差をえがき、わたしの頭と首をいつもよりしっかりとつなげてくれている感じがした。感銘をうけたわたしは、
「頭の後ろの形を、撮ってもらえませんか。」
とお願いした。おじさんは快く受けてくださり、いろいろな角度を試行錯誤しながら最適なアングルを見つけて撮影してくれた。おじさんのスマホでも撮ろうと言ってスマホを探しはじめた。狭い店内なのに三分くらい見つからず、あきらめていた。
「すごくいい。今のほうがかっこいいよ。」
Bさんは嬉しそうに言ってくれた。おじさんはBさんの紹介だからと割引いてくれて、さいごに会員カードをくれた。会員カードやポイントカードをとにかくなくすので断ろうとも思ったが、次行くときになくしていたら相談しようと思い、黙って受け取った。
深くお礼を伝えて、駅でBさんと別れた。細く降りしきる雨はいつのまにか止んでいた。