◆モチベーションの取り戻し方

 noteで冷蔵庫を持つべきかどうか書いて以来、すっかり自炊のモチベーションが下がってしまった。ぼんやりと思っていたことをことばにしたことで、改めて「離脱するキャラをわざわざ育てないよね」という帰結がより強固になってしまった。おまけに冷蔵庫を持つか持たないかというトピックでエッセイを書いていたので、気持ちが弱っていたこともあり「冷蔵庫いらない派」にぐっと傾きつつあった。そこで代替できるものを検索しまくっていたのが、1月の上旬である。ほんとうにそれ以外のことをやっていない気がする。

 だが現実問題、自炊ができないとだいぶ困る。わたしは比較的薄い味つけを好むのだが、それに比べると外食も中食も味が濃い。今の惣菜やレトルト食品はたしかにおいしいけれど、その濃さに1週間で根を上げてしまった。そうなった状態で食べるものを決めなければいけないのはだいぶつらい。どれも食べたくないので、選ぶことそれ自体がそうとうなストレスだ。そしてその不本意さに対して出費がかさむのも嫌気がさしてきた。そもそも、今は引越し資金を貯めるために本業にくわえてバイトをしている。貯蓄が最優先のはずだ。それなのに自炊をしないでいると、不本意な食事のためにお金が湯水の如く出ていってしまう。これではバイトをしている意味がないではないか!

 だが、下がりきったモチベーションを上げるのはなかなか骨が折れる。今回のトリガーである「ひとりぐらしになる」という事実に対して、なす術はない。すぐに住む相手が見つかるようなものではないし、ひとりぐらし自体はすこぶる楽しみなのだ。そこで、視点を変えることにした。

 今回、わたしの自炊のモチベーションが下がったのは「同居がおわり、ひとりぐらしになる」という外的要因である。これは先ほども書いたように、どうしようもない。ひとりぐらしになると、自炊の形態はかわる。だから、従来のやり方でやる気が起こらない。
 ここで少し気は早いけれど、ひとりになってからの自炊について勉強してみようと思い図書館へ向かう。ひとりぐらしとおぼしきテーマの自炊本を適当に漁って読む。工夫をこらしたレシピや思想は、共感できてやってみたいものもあれば、肌に合わないものもあった。いずれにしても、それらを読んでいて思い出したのは「料理って、おもしろいんだよな」ということだった。

 料理をする目的はひとによって違う。節約のためだというひともいれば、安全面に配慮したいというひともいる。わたしはnoteに書いたように、2、3人分をコンスタントに作りつづけるためにはつくりおきが最も理に適っていると考え、ルーチン化していた。しかし、もう少し掘り下げるとこの合理性に先立っていたのは「料理っておもしろいな」という素朴なきもちだった。そう、いくら合理的であろうと、おもしろくなければ絶対にわたしは手を出さない。ここではじめて「ふたりぐらしが終わる」とか「作り置きをそこまでしなくてよくなる」という外発的な動機づけではなく、「そもそも料理っておもしろいな」という、内発的動機付けに目を向けることができたのだ。内発的動機付けはじぶんの気持ちや性質ベースでものごとをとらえるので、ふたりがひとりになろうと自炊のルーチンが変わろうと関係がない。「料理っておもしれえ!」と思えばそれが動機だ。戦い続ける悟空の「オラ、ワクワクすっぞ!」とおなじだ。仮に平和な世界だとしても悟空は戦いたいのである。

 そういうわけで約半月ぶりに買い物にいって、料理をつくった。すぐにだめにならないような缶詰や乾き物を買って、適当に調理する。

たのしい……。

 ひとりぐらしになっても続けられるようなやり方を見つけられればしめたものである。今住んでいる立川からは離れてしまう可能性が高いので、家でもスパイスカレーをつくれるようになりたい。お弁当は……カレーの後でもいいだろう。今は必要・不必要より、おもしろいと思うことからやりたい。それでこそわたしである。

 モチベーションを回復させたいとき、意識的に視点を変えるのがとても役に立った。これからひとりになって周りの刺激が減りそうだとか、そもそも周りから指摘されることの少ない家庭内のことで困っているとか、ひとつの物事にとらわれやすい性質のあるひとは、なおのこと、である。わたしだ!

 読んでくださり、ありがとうございます。音だ節電だといろいろありますが、おもしろいというのは趣味のようなものですから、出費も25db程度の音も、愛情をもってゆるせてしまう。おもしろさが勝ればそこで勝負あり、です。

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