きのうのつづきなので、きのうのものから読むことをおすすめいたします。
一見関係なさそうなものごとをつなげることを「点と点をつなぐ」と言った。これを自分の生活に置き換えてみたとき、仕事と思考と読書と文章はきちんと一本の線としてつながっている感じがしてきた。やや浮いているのはゲームだろう。孤島のごとくわたしの中に陣取っているゲーム。モチベーションがなかなか安定せず、狂ったようにやるときもあればすっかり忘れたように触らなくなることもある。
近頃は韓国の音楽ゲーム「EZ2AC」にはまったことで、もっといろいろなひとにこのゲームのことを知ってほしいと思い、動画を作ることにした。この「動画を作る」と決めたとき、ゲームという点がわたしの問題意識の根底、衰退しつつあるアーケードゲーム界隈、幼いわたしを救った場所を守りたいという気持ち、いつまであるかわからないアーケード(ゲームセンターの)ゲームについて布教したい、というところがつながってきた……かもしれない。そうすると精神のことについて書いたり、日々のどうでもいいようなことを書いたり、妄想について書くことと、ゲームの布教動画をつくることは「じぶんの思いを形にする」という点で一致する。
わたしにとってゲームはひとつの「コミュニティ」だ。精神も「居場所」、アトリエも「居場所」だ。それぞれのあり方は異なるが、どうやらわたしの関心は「居場所」がキーワードのようだ。
「思う・知る・つくる」の点たちは、今やひとつの線となった。最後の「つくる」はときに「伝える」に変わる。ひとびとにものを伝える。伝道者……これが自分に与えられた使命ではないかと思うときがある。浴槽でまどろんでいると、ときどき穏やかな老人の声が聞こえる。
「より多くを知り、深く考え、広く伝えなさい。」
彼の声は夢かうつつか。湯けむりのたつ浴室には、誰の姿もない。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。妄想がホンモノみたいなところがあって、今日のはまさにそういう感じの記事です。
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