◆身を置く世界、置かない世界

 以前、時間の使い方について考えたとき、「自分の持っている残りの人生の割り振り」と書いた。それは結局、自分のやりたいことやなりたい姿に対してどう動くか、ということになる。

 やりたいことをして、なりたい姿になるためには、すでにそれをやっている人や、そういった人のいる環境に入るのが一番早い。中学の頃から続けている音楽ゲームでいえば、当時音ゲーの栄えていた立川のゲームセンターにたまたま飛び込んだことで急成長を遂げ、人間関係もぐっと広がった。これは確実に自分の糧となっており、ゲームの上達に必要なエッセンスが、日常生活を最適化するのに役立っていたり、今でも付き合いの続いている友人をもてていたりもする。
 音ゲーに関しては中学の友人がゲームセンターのことを教えてくれたのがきっかけで、行動範囲に制約のある時期だったことを思うとほんとうに運がよかった。一方、大人になると、自分の置かれた環境をある程度調整することができる。多くのRPGは中盤になると行動範囲がぐっと広がり、冒険の自由度が増すのだが、それとよく似ている。

 今、わたしは対人支援職としてきちんとした技術と自信をもって相手に臨みたいし、だからといって仕事に引っ張られすぎることなく生活も自立、充実させたい。思ったようにことばを操れるようにもなりたいし、おいしいカレーを作れるようにもなりたい。
 そうすると答えは案外シンプルで、しごとをきちんとして、家のことをする時間も取り、さまざまな言葉を吸収しながら書く練習をして、おいしいカレーを食べにいって、ときに作ってみる……と、書いてみると、たったこれだけのことになる。運のいいことに、転職によって仕事の環境はそうとう自分の望んでいたものと近い状態となり、生活に関しても、そういったことに興味のある友人が少しずつ増えてきた。ことばについても本や映画のことを話せる友人や知人がおり、お気に入りのカレー屋さんもできた。実は、環境としては、だいぶ整ってきているのである。

 ただ、それでも「たったこれだけ」ができないときがある。特に予定を決めないでいる休日に、なんとなくだらだら過ごしてしまう「アレ」である。「やる気は、やらないと出ない」とよく言われているけれど本当にそうで、「やりたい・なりたい」に飛び込むことと、「やらなくてもいい、なりたくない」と距離を置くこととを並行する必要を感じている。しごとの日は否が応でも(いやになったことはないけれど!)しごとをすることになるのでいいとして、自由度の高い休日の組み立てをしっかりやっていくことが重要になる。以前よりもうまく組み立てられるようになってきている気がするが、改善の余地はまだまだある。

 読んでくださり、ありがとうございます。余地は伸びしろ。

コメント

WP Twitter Auto Publish Powered By : XYZScripts.com