■やっていることのつながり

今は広義の社会福祉系の業界で働いているのだが、一方で行政書士資格をとって開業をして(営業はしていないので案件はない)、なんとなく韓国語も毎日5分ふれるようにして、しょうもないことでも書く等々、いろいろ、やってみながら過ごしている。ちょっと前は世界史がすきで調べてみたり、紛争地域の本を読んでみたり、大学では哲学をやってみたり、さらに遡れば創作をしてみたり……さほど大成したものはないものの、着実にそれらが自身に根付いたうえで今のしごとをしているように思う。まぁ、これは考えようによってなんとでもいえるので、わたしはそういうストーリーとして捉えている、という話だ。

ただ、ときに、やっていること同士が不意につながることがあり、ここからは完全に感覚の領域になるのだが、最近はもうちょっとで、これまでやってきたことがなんだか、きれいにつながるような気がしている。日々「楽しいな」と「辞めてえな」を反復横跳びしながら出勤している私だが、本当に辞めるムーブに入るとすると、ここが本当につながって先の見通しがみえたときなんじゃあないかとばくぜんと感じている。まぁ、辞めずに新しいことを始める可能性だってあるかもしれないが、それはそれでいい。

そういう意味では英語がたのしいのでやりたいのだが、実践の機会がなく折れてしまうことが多い。そこが何かとつながると、ぐーっと活路が見出せるようなそうでもないような、そんな気がしている。もうちょっと機会を探していくといいのかな。今が退屈なわけでも最悪なわけでもないけれど、やってきたこと同士がこのあとつながると、ぷよぷよの全消しのようなカタルシスがありそうな気がしている(やはりここも、気がしているのだ)。

結局を何かを言っているようで言っていない800字になったが、最近の関心としては異なる環境・多様性・一方で宇宙規模になれば、人が生きる意味なんてちっぽけだなという、そんな感じである。SFがすきになったのもなんだかわかるな?

読んでくださり、ありがとうございます。経過のつながった先が明確でないので、そこはゲームと違った未知やギャンブル性がありわくわく的なおもしろみがあります。

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