何もないというのはおおげさだが、6月あたりからは旅や大きめのイベントはない。成年後見の勉強会が連続で入っており、動きをとれないからだ。
凡庸な日々が続くと飽きてしまい、刺激を求めてしまいがちなのだが、このあと、もしかしたら仕事のバランスを大きく変えていくという大イベントが発生する可能性があるため、そこに備えないとまずいな、という思いがでてくるようになった。平たく言ってしまうと、これまで何も先のことを考えずに「今やりたい」で時間もお金も使ってきたので、ちょっとは考えようということである。のんきに好き放題やってきたため、この後に及んで、そういった危機管理能力がはたらくことに我ながら少し感心してしまった。
時間でいえば、縛られる時間(勤務時間・眠るや食事など生活の時間)を除いた可処分時間のプランニングだ。今は、朝に韓国語をちょっとやって、アラビア語をちょっとやって、筋トレ、を30分くらいでこなせるよう余裕をもてないか模索している(語学はともかく、筋トレまでいくのがむずかしい)。しごとに行って帰って、移動時は本を読む。帰ったら気になったことを書き留めてみて、さらに余裕があれば文章に起こしてみる。寝る前は元気があれば少し本を読む(そこまでできないことが多い)。休日はそこにiidxとDDRなどといった音楽ゲーム兼運動や、展示を見る、すきな喫茶やカレーやさんにいく、友人と会う(レア)などの活動が入る。別で、休日のうち4,5時間は新しく始める予定のしごとにあてたく、今は研修があるのでそこが自動的にあてこまれているが、ないときは案件をさぐったり、ソフトの勉強をしたりする。勉強会にも時間があえばいってみたい。
試行錯誤しながら2ヶ月ほどこのような生活だが、あんがい満足度は高い。旅行がないと飽きたり、物足りない気持ちになったりするかなーとも予想していたので少しびっくりした。そもそも豪奢な生活をのぞまない質だったのは幸いかもしれない。だからこそ何もなければ変化も改良もないのだが……。
あともう少しブラッシュアップしておけると、いざ新しいしごとが入ってきたときにも柔軟に対応しやすい気がするし、それによって「時間をとられる」「不満だ」といった思いも出てきづらいのかなーと思う。
読んでくださり、ありがとうございます。先を見据えた行動ってむずかしいので、具体的に何が変わるといいのかを考えるところからやってみていますが、「まだきていない」のでむずかしいですね。
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