「後悔のないように」と簡単にいうが、アンパンマンの作者・やなせたかし氏も「ここからおもしろくなるところなのに何で自分が死ななければいけないんだ」というように、どんな人でも少しは残ってしまうものなのだろう。近頃は終わりのことをときどき考える。じぶんが終わるということは、これまで経験したことはないけれど、今、当たり前のようにしているこの世界の認識もおしまいになるということだ、と、考えている。そう考えると、今まで認識したぶんだけで終わっていいのかというと、いくぶん深いところを見た瞬間もあったが、さすがに狭すぎる。もうちょっと他のことも知りたいと思う。
だから、なんとなく「ここではないどこか」を求め、さぐっている。それは場所でも業界でも学問分野でも、つきあう人々でもいい。もっと違う世界のことをみてみたい。そこで自分なりにあがいてみて、力を発揮できるのかどうか、そこに互いのよろこびはあるのか、今よりもか?そのうえで、他の世界を見にいくのか、戻るのか、はたまた居座るのかはわからないが、いずれにしても、今より少しだけ心身ともに余裕がもてていればうれしい。とにかく余裕がないまま終わってしまえば「ああもう少しゆっくりしていたかったな」と後悔することだろう。
それ以外のことは考えてみてもあんまり出てこず、「ここではないどこか」が今の自分にとっていかに大きいか、いざ外に出てみてから、また考えてみないといけないのかもしれない。もしくは、それなりに現状に満足しているのもしれない。
残りとはいっても、あと何年生きるかもわからないので、あんまりたくさん「ああしたい」「こうしたい」と浮かんでこないことは、後悔しないためにはいいのかもしれないが、どうなのか。それも、まさに終わるそのときでないとわからないのだろうな。
読んでくださり、ありがとうございます。「海外でもいったら」と弟から言われ、それもよいのですが、まず休みをまとめて取るところからなのですよね。そのためにも「ここではないどこか」に出る必要が……(ループ)。
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