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何年もそういうきもちがあってやっていなかったというのは、本当にやりたいわけではなかったか、他のことを優先していたからなのだろうな。
じっさいわたしはゲームがだいすきだし、本もだいすきだし、絵もだいすきで、いざ文章を書くことを思うと時間を割けないな、とおもっていた。
しかしそれは時間配分をしていなかっただけで、決して時間の絶対量がたりない、というわけではないような気がした。
考えることがそろそろ頭のメモリいっぱいになってきた気がするのも、改めて文章をしたためたい!とおもった原因のひとつだ。
なんだかいつも同じことを考えているような気がする。忘れないように何周もしているような気もする。それならここに書いておけば頭から離れてしまっても思い出す契機になるのでは、とおもった。
あと、へんな話なのだけど、わたしはけっこう文章も、絵も、自分で表現したい!というものをしっかりアウトプットしてかきたいなと、日々おもっている。
現実どっちもいまいちなので、その研鑽もしたいな、と思って、スマートフォンが壊れてしまった今、パソコンを開いたわけだ。
表現したい!っていう欲望、言葉にせよ絵にせよ任意の記号を媒介して第三者に何かを伝えたい!ということに他ならない気がしていて、それだったら穴だらけで伝わりづらいより、plainな語彙でわかりやすいほうが、相手にとってもおそらく(未来の)自分にとっても丁寧だし、敬意を払えるのかなあ。なんて思う。
哲学科にいたのに、難しい語彙で話されると寝ちゃうんです。いたのに、っていうのもへんか。へんじゃない気もちょっとするけど、へんかな。
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