休みの日、よく同居人はぼーっとしている。目が覚めてもふとんに潜ってiPhoneをいじっていることもあり、これ以上ねむれないのならいっそ動き出したほうがましだ!とふとんから出てしまうわたしとしては、信じられない光景である。
月のはじめ、完全にエンジンが切れたときのことだ。わたしはふとんに倒れ込み、残りの気力をふりしぼって同居人に尋ねた。
「どうしたらこうならないんだろう。」
ちょうど日曜の昼下がり、窓から差し込む太陽の光が、ぬるくて心地よい。
「なにもしないのがいいよ。」
「なにもしないって何?」
「ぼくみたいにしてることだよ。」
まったくもってそうだとわたしは思った。それができないからこまっている。
「なにもしないのがすきだからそうしているの?」
「うーん……。」
彼はことばが出てくるのに少しだけ時間がかかる。
「一生これがいい?」
待ちきれず、次の問いを投げかけた。同居人にはひとより少し長めの無職期間がある。
「一生は飽きるかな。でも、休みの日……とくに日曜日はこれがいい。疲れもとれるからね。」
「わたしの場合だったら、どうするといいと思う?」
同居人は即座にこたえた。そこに迷いはなかった。
「ひとつ、めしをつくらない。」
そんなに、わたしがめしをつくっているように見えたのだろうか。すきでやっているせいか、まったく無自覚だった。
「むずかしいなぁ。」
練習しないといけないなぁとわたしはぼやいた。たぶんしばらくは失敗するだろう。「おもしろい」はわたしの原動力だ。「おもしろい」ことは、なかなか諦められない。だから料理を作りすぎるし、据置ゲームを売るはめになるし、予定もいっぱいになり、こうなっている。
「ふたつめは?」
「もうないよ。」
果たしてめしをつくらないだけでなんとかなるのだろうか。これを皮切りにいろいろなことが気になり始めたが、むずかしいことを考えるリソースはからだのどこにもない。それに気づいたエンジンが、これ以上の稼動をあきらめたようだ。考えられず、動けもしないことにどこかほっとして、意識を失うようにねむりにおちた。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。とりあえず、Googleカレンダーの日曜日に「入れない!!!」という予定を1ヶ月ぶんいれました。
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