384:らくらくいきたい

研修でストレスについて学ぶ機会があった。詳しいことは省くが、われわれが日々用いる「ストレス」ということばは、ストレス刺激、ストレス反応、ストレス状態の3つに大別されるという。たとえば、「音ゲーうまくいかないな」とイライラしてしまう、というひとがいれば、そのときのストレス刺激は「自身の想定通り趣味が楽しめないこと」、ストレス反応は「イライラする」、刺激と反応をふくむ全体がストレス状態というわけだ。

それに対し、自身にとってのストレス刺激および反応が何であるかを知ること、そのうえで、それぞれの対処をしっかり講じるようにしていきましょう、というのが話のみそなのだが、自分の場合、じっさいに書き出してみると「事前の対処」が重要であると気づいた。

たとえば、よく月次で書いている「仕事の多さ」はまさに、ストレス刺激のさいたるものだが、この対処として、事後のものとしては「休日の余暇を楽しんで切り替える」「相談して調整してもらう」となる。一方で、事前のものとしては「日頃からキャパシティを小出しにしておく(今の状況を知ってもらう)」「その日の最低限のタスクをあらかじめ決めておく」「月次、週次でとりくむルーティンを構築しておく」だった。実際、しごとが多くなってから対処するというのは、風邪を引いてから病院に行くようなもので、周りへの負担も大きい。事前であれば、最初から請け負わない業務を他の人と分けることを前提にしてしごとを進めることができるので、組織としてもスムーズに事を運びやすい。しごとに限らず、余暇や家族に関することについても、同じことがいえた。詳しくは省くが、むだなストレスを発生しないようにすること、発生したところで最小限の状態で沈静化させることが有効なことを、納得して学べた。

そこで考えたのが、起業家や専門家、とりわけ何か大きいことに取り組んでいる人というのが、ルーティンやマイルールを大切にしていることだった。わたしの家にテレビはないのだが、『プロフェッショナル』や『セブンルール』といった、世間で活躍している人の仕事ぶりや日々に密着する番組があることを、人づてに知った。すべてがストレスと結びつくとは限らないが、彼らが大切にしているルールやルーティンというのは、そういったストレス刺激に起因する逸脱を回避する合理的な手段のようにおもえた。だからこそ、自身のしごとに熱中し、すばらしいものを作り上げられるのかもしれない。あまりにも尖ってくると、そこで協働作業をする人との軋轢が生まれ、トラブルになってしまうこともあるが……、それも環境がゆるすか、ゆるさないかで、そんな環境も、力のある人であれば、自身でつくりあげてしまうんだろうなぁと、具体的な誰かを想像したわけではないが、思いを馳せてしまった。

ようするに、これらのルーティンやルールというのを、ストレス対処という文脈において事前の対処として捉えてみると、当人たちがどう意識するかどうかはさておいて、そういうふうに生きられるのは、なんだかいいなとのんきに思った。「成功者になろう!」という意気込みは到底ないが、もう少しらくらく生きていくのに、構築できそうなマイルール・ルーティンを見つけていきたい。

読んでくださり、ありがとうございます。成功者が無駄なくみえるのは、すでに自らの行動がシステマチックになっていることによって、しぜんと、必要な選択機会だけをえらびとっているから、なのかもしれないなーと。

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