◆街に「ひきこもる」

この連休はアトリエに行く日を除いて、自分の街から出なかった。つまり買い物も食事も散歩もぜんぶ、日常の中にあったということだ。

何度か書いているけれど、わたしは今住んでいる街がすきだ。関東圏で引っ越すなら、この街のほかは受け付けないくらい。決してほかの街が悪いわけではなく、この街の歴史やありよう、そしてじぶんのバックグラウンドも含めて、愛着がわきすぎているのだ。

そんなだいすきな街で連休を過ごせたことは、とてもしあわせだった。連休中は催し物が増えるが、人混みが苦手なのでそのたぐいには一切行かない。世間が非日常的な連休に浮かれているなか、断固として日常のなかに居座っていた。

ひとところにいるのは退屈にみえて、おもしろいところがたくさんある。まずは一年を巡るなかで景色と人のようすが変わっていくこと。ささやかなところだと家の周り、大きな公園なんかがあるとより深く実感できる。冬はやはり枯れ木の群れがさびしく、人もまばらだ。逆に今くらいの季節だと、緑と人とでいっぱいになる。同じ木と人も季節でこんなに変わるのかと、その多面性におどろいてしまう。

もうひとつはいろいろな道を探索できるので、時間が経ったころでも発見があること。これは通勤路の話でも似たようなことを書いていて、案外見落としている店や人や変な建物があったりする。これが見つかるとたのしい。似たようなところだと、同じ店で同じものを食べて変化が見つかるのもおもしろい。今日はスパイスがいつもより効いているとか、今日はふしぎと甘みがあるとか、その日の自分のコンディションにもよるのだろうけれど、毎回おんなじではない。反復するだけのようにみえて、実はただ一度だけの、再演されることのない舞台なのだ。旅行で一度きりの街では、こうはいかない。

同じ街にとどまるのには、RPGの冒険とはちがった味がある。ひとところに留まるゲームをしたことがないので例えがたいが、これはこれでよい。移住の夢が絶えたわけではないけれど、どうやらこの街にいることはやぶさかでないようだ。最近遠出のモチベーションを失っているのも、この街に「ひきこもり」始めている証左かもしれない。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。たんじゅんに全てが揃ってべんりというのもあるのですが、それは13番目くらいの魅力です。

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