◆手帖論考

今年はほぼ日手帳の分冊版「avec」をつかっている。6月に入り、上巻も終盤にさしかかった。去年にくらべるといろいろなことがあったような気がするけれど、あっという間だった。

手帳づかいも3年目に入り、気づいたことがある。これまでも錯誤をくりかえしてきたが、いよいよ「筆記具で書く」こと、そして「手帳そのもの」に求めることが見えてきた。

前者はひとことでいえば「思考」だ。日々散逸する思考を書き留める。日々のなかで沸いた疑問、気になったできごとの考察、向こう数日ぶんの献立候補、創作の構想などなど。手帳というと予定管理や日記という印象があったが、予定管理はGoogleカレンダーで行っているし、日記はほぼ書かない。

ここから導き出せるのは、日付がついていなくてもかまわない、ということだ。今は1日1ページの手帳をつかっているけれど、おさまらない日はへいきで翌日のページを侵食する。ひどいときは七割くらい占領することもあるので、かえって区切りはじゃまかもしれない。

「手帳そのもの」に求めることへ話を移そう。大きく2点あり、万年筆で筆記するきもちよさと、その携帯しやすさだ。万年筆はもはや、ボールペンに戻れないほどその書き心地を気に入ってしまった。インク交換の手間すらいとおしい。今はLAMYのSAFARIを使っているが、次の賞与が入ったら少しいいものを買ってもいいかな、というきもちになりつつある。ほぼ日手帳に採用されているトモエリバー(紙の名前)は万年筆が裏抜けせず書き心地もいいが、特段こだわっているわけではないので他にいいものがあれば試してみたい。

さいごの携帯しやすさについては最適解がみつかっていない。今は文庫サイズのものを使っているが、少し厚さが気になるのと、絵をメモするとどうしても狭くなる。ここ最近はモンベルのリュックを毎日出動させているので、おもいきって大判のものにしてみてもいいかなと思いつつある。上で書いたとおり日付の区切りは必要ないので、選択肢は広がりそうだ。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。文房具のことは考えはじめるとずんずん奥へいってしまうので、たぶんもう一回書きます。

コメント

  1. […] 前回の記事を書いたあと、ずんずん奥へ考えてしまった。思いのほか奥までいったので、朝のエッセイのボリュームではなくなってしまった。今回は万年筆の書き心地がいいことを前提 […]

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