◆時間という資源

 最近、時間の使い方について頻繁に考えるようになった。

 以前書いたが、今は半日休みが多く、これまでの人生のなかではだいぶトリッキーである。半日休みの使い方は案外難しく、だらだら寝ているとすぐに終わってしまう。だからといって遠出もむずかしい。週4勤務だったときのように、アトリエにも毎週は通えなくなった。おまけに、コロナの影響でアトリエが早く閉まるようになったため、終わったあとに絶妙な空白の時間ができる。直帰するには早いし、どこかに行こうとすると遅い。なやましい時間である。

 また、近頃はやたらと「人生は有限だなあ」と思うようになった。なんとなく頭ではわかっていたものの、忙しくなってようやく現実味を帯びる。24時間のなかで、起きている時間をどう割り振ればよいのか?はたして、これまでの割り振り方は正しかったのか?無駄なことに割いている時間があるのではないか?これからわたしはどこを目指し、何者になりたいのか……等々、挙げればきりがないが、とにかくこういった問いたちが隙をみて反芻している。

 時間はお金のように取っておくことができない。誰もが「宵越しの金は持たぬ」を地でいかなければならない。漫然と過ごしていると、時間だけが溶けていく。生来落ち着きがなく、ゲームで培われた効率厨のスピリットも手伝い、ついつい何かをしたくなってしまうものだが、ここは一旦立ち止まり、自分の持っている残りの人生の割り振りについて、じっくりと吟味するべきだろう。わたしはこれまで、相当に刹那的でふわっとした人生を送ってきた。ここできちんと考え、導かれた結論が、今後の生き方と深くつながっていくような気がしている。

 読んでくださり、ありがとうございます。こういったターニングポイントがやってくるのにも理由があるものです。

コメント

  1. […]  さっそく、しごとでも生活でも具体的な目標を立ててみる。前回の記事を書いた翌日に書き出してみたが、あまりにもばくぜんとしていたので具体化するのに時間がかかった。 […]

  2. […]  以前、時間の使い方について考えたとき、「自分の持っている残りの人生の割り振り」と書いた。それは結局、自分のやりたいことやなりたい姿に対してどう動くか、ということにな […]

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