お笑いコンビのラランドは大学がおなじで、「うちにもお笑いの人がいるんだ」と思って漫才やコントを見始め、最近はラジオも聞きはじめた。しょうもない話でも聞きやすく、「プロだ……!」と思う。
TBSラジオの「ツキの兎」という番組のバックナンバーのなかでお互いの近況を聞くくだりがあり、ニシダの毎日が「仕事をして小説を書いている。どこにも出掛けてない。めしは行くけど。」で終わってしまったことに、相方のサーヤがびっくりしていたシーンがあった。
ニシダ単体のラジオ「ラランドニシダの実家には帰らない」でも、「趣味は特にない。仕事は楽しい、嫌なことしないから。でも美術館はちょこちょこ行くかな。」と話すことがあった。ニシダは地上波でもYoutubeでもクズとののしられるに値する芸人だが、案外、仕事と生活が一体になっているタイプなんだなと思った。
自分も決して趣味が多いとはいえないが、「仕事が生活です」みたいな感じはない。ただ、ばくぜんと一体になっている人には少しあこがれるところがある。というのも、やりたいことと仕事が一致し、生活と融合していくなど、そうそう起きえないのと、そうであると、生活の面で考えることが減るので楽かな〜という思いがある。いまの仕事は、決してやりたくないことではないが、生活と一体になれるかというと「ちょっとそれはヤだな」と思う。距離が近すぎる。ここが一体化している人というのは、そうではない人と確実になにかが違っていて、これまでは落合陽一などをみて「仕事に対するミッションや熱意、寝食を忘れて取り組めるだけの関心がないとできない」と思いこんでいたのだが、ニシダをみてからは「そこまで熱量がなくても一体化するんだ」と拍子抜けした。何がこの差を作り、生活と仕事との距離を埋めてくれるのか。
ただ、ニシダのいうとおり「嫌なことをしないから楽しい」というのは、幼さを感じるところはありながらも、あんがい大事なポイントなんじゃないかと思う。この「楽しさ」はクリエイティブな仕事との相性がいいように思われる。笑いをつくる・小説をつくる・メディアをつくる・世の中を変える……、こういった仕事は、生活と結びつきやすいのかもしれない。ただ、広く捉えると、けっこうな量のしごとが「つくる」ことにつながっている気もするので、やはりその人その人の資質や生活との距離感をよしとするかどうか、なのだろうか。
必ずしも仕事と生活を一体化させる必要はないし、相応の距離をもって望むことの魅力も一方ではあるので、「何が何でもそうなりたい!」ということではないものの、ニシダの話を聞いていると、もうちょっとテキトーに生きてぇな、と思うのであった。
読んでくださり、ありがとうございます。『不器用で』も『ただ君に幸あらんことを』も未読で申し訳ない。案外中古が高いのですな、新刊でもいいのですが。
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