先日、4000円のnoteを読んだ話を書いたが、そこで、著者であるお笑い芸人の木田は、利尻島での1ヶ月の激務とシゴキを経て、自分がいかにお笑いが好きで、それで食って行きたいと思っていたかを再認識したという。同時に、一般社会における労働で自分がいかに物覚えが悪く、エラーを起こしてしまうのかも(再)痛感したようだ。荒療治ではあるものの、こういった過酷な経験を通して本来の「やりたいこと」を知るというのもひとつの方法なんだなと、みょうな感銘をうけた。
自分はそこまでする気概はないし、大きな夢や野望もない。代わりにといってはなんだが、なんとなく「今回の人生はこれでいいか」という方向性や生活の質感をつかみつつあり、あとは、現状からどれだけ「おりて」いきながら過ごせるかを模索するフェーズになった……と認識している。要は今の生活から手を抜きたいし休みたい。その時間で散歩をしたりもっと文章を書いたりしたい。
その点、スマホから手を離せというのはまっこと正しく、当初意図していなかったものの、Xからちょこっと離れたことは結果的に功を奏している。このように、今の生活の中にはまだまだ仕分けできる時間があり、そこでもっとインプットをしたり、文章を研鑽したりなど、できることはありそうだが、もう少し、できるようになりたいイメージに近づいた状態で、しごとの手を抜いたり休んだりして生活のシフトを図れたらと思う。過酷な経験を経なくともできるように。
読んでくださり、ありがとうございます。友人が愛猫との別れをかいた文章を読んで、すごくいいなーと思う一方で、自分は情緒的な文章を書くのがなんだかできず、どうするといいんだろうな〜というのを思っており、気持ちが動いた時の描写をもっと練習したいところであります。
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