■自由のきかないときのこと

(おそらく)2度目のコロナ罹患で物理的に外との接触ができなくなった。今回は初回よりも熱症状がしつこく、意識が明朗とするまでに時間がかかり、職場復帰も外出OKまもなくということで、そこまで暇な時間はなかったのだが、それでもそれなりに普段の状況で考えることのできないできごとについて考えていたように思う。

コロナになったことのある人はわかっていただけるかと思うが、熱が出て息も苦しい間は何も考えられない。せいぜい「ねつがでて、くるしい」である。熱が下がってきて、息がふつうになりかけてきて、咳や痰症状などもちょっとなんとかなってくると、だるくても横になっていれば、考えられる状態になる。「なんかできるかな」と。

うっかりあいた時間というのはいつだって難しい。元気なときの、訪問と訪問の空き時間ですら「うーん、どうしよう」と街をさまよい、豆乳ラテをちょっと飲んで座っていたら時間がきてしまうものだ。体調を崩し回復の過程にあっては、よけいに考えさせられる。

なにもないとしごとをしてしまう向きもあるのだが、ふたつの業務をもって生きていくとなると、そろそろ、一定のしごとに依存してしまっているような癖もやめなければ、という強い思いが自分の中にあり、それ以外のことを考える。

ちょうど、読みさしの本があったのと、国際業務(外国人の入管業務)の、行政書士会の新規講座が次回、年度明けなので、先にオンデマンド配信で予習しておこうかと思い立つ。なにか制作もやりたいなとおもったが、材料を買わないとならなかったのと、文章を書くには少し頭が回らない感じがあり、断念した。最近はYoutubeをだらだらと流しているような時間が帰宅後に目立ち、なんとかしたいような気持ちもあったので、そこにオンデマンドを入れられると学習に置き替えられてよいなーといった目論見もあった。

読書中はいつもと同じように雨や滝の音を流し、オンデマンド中は手書きでメモしながら過ごす。なんてことのない時間だが、うっかりあいた時間にしてはまぁまぁ使ってあげられた方じゃあないかと思う。

不意打ちのようにあいた時間は今後の人生でいくらでもやってくる。またそういうことが起きた際、気長に扱ってやれるくらいの余裕がほしい。

読んでくださり、ありがとうございます。最近は「これ自分の人生なんだよな」と、なんだかもうちょっとどうにかならないかなとかいうことを、よく考えます。

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